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令和最初の皇居勤労奉仕
高森明勅
9月2日から4日間、「令和」初の皇居勤労奉仕。 幸い雨に祟られる事も無かった。 初日は赤坂御用地でご奉仕。 いきなり天皇陛下のご会釈を賜る事になった。 陛下が室内にお入りになると空気が一変。 それまでのピリピリした緊張感が逆に和らぐ。 温かく穏やかな空気が流れる。 わが奉仕団のすぐ前にお立ちになって、ご下問と労(ねぎら)いの お言葉を賜っている間は、殆ど頭を...
日本書紀の「倭」という表記
高森明勅
日本書紀にも「倭」という表記が皆無ではない。 その中から興味深い例を1つだけ取り上げてみたい。 それは、天武(てんむ)天皇3年(674年)3月丙辰(ひのえたつのひ=7日) 条の記事。 ここにはっきり「倭国」という国号を確認できる。 もし書紀が依拠した史料に「日本国」と書かれてあれば、当然、そのままの 表記になったはずだ。 この箇所は、書紀の編者が元の史料に「...
日本人は「倭」という表記を嫌ったか?
高森明勅
わが国の国号は古代(恐らく689年)に「倭」から「日本」に改められた。 これは、日本人が「倭」という表記を嫌った為、という見方が根強くある。 果たしてそうか。 そうした見方の根拠は差し当たり2つ挙げる事が出来る。 1つは、「倭」という漢字そのものが、元々良い意味を持たない事。 藤堂明保『学研漢和大字典』に「しなやかでたけが低く背の曲がった 小人をあらわす」と...
古事記の「倭」という表記
高森明勅
古事記には「日本」という言葉が一度も登場しない。 全て「倭」だ。 これは何故か。 重大な問題のはずなのに、従来さほど注目されて来なかった。 同書が成立した和銅5年(712年)には、既にわが国の国号は「倭」から 「日本」に改まっていた(訓読みはどちらもヤマト)。 『令集義(しょうのしゅうげ)』公式令(くしきりょう)「詔書式」条に 引用する『古記(こき)』(天平...
昭和天皇からの「恩義」
高森明勅
昭和天皇の「戦争責任」を巡る大原康男氏の論文(「『天皇の戦争責任』覚え書き」) に、文芸評論家だった亀井勝一郎氏の次の一文が掲げてあった。 「私は現陛下(昭和天皇)によって救われた身であることを第一に述べて おかねばならぬ。 終戦の御聖断が若(も)しなかったならば、国内は戦場となり、国民の大半を 死なしめたであろう。 仮りに免れたとしても餓死は免れえなかった...
政府が大嘗宮「萱葺」を検討
高森明勅
大嘗宮(だいじょうきゅう)の屋根を板葺(いたぶき)に変更する 問題を巡り、次のような報道があった。 「茅葺(かやぶ)き文化の保全継承を目指す自民党の 『茅葺き文化伝承議員連盟』の山口俊一会長は(8月)30日、 菅義偉官房長官と首相官邸で面会し、11月に行われる皇位継承に伴う 重要祭祀(さいし)、大嘗祭の舞台『大嘗宮』の屋根材を茅葺きに仕様変更 するように要請...
昭和天皇の「戦争責任」?
高森明勅
かつて昭和天皇の「戦争責任」が明確な悪意から盛んに議論 された時期がある。 それに対し、これまで最も包括的・理性的に整理と検証を 行ったのは、大原康男氏の「『天皇の戦争責任』覚え書き」 (『象徴天皇考』所収、初出は昭和53年)だろう。 先ず、「戦争責任」という曖昧な概念を4つのカテゴリーに分類された。 1、開戦責任―戦争を開始した事に関わる責任。 2、戦争遂...
「グレーゾーン」事態と米軍
高森明勅
アメリカは1900年代から現在までの100年間に僅か5回しか戦争をしていない。 と言えば、誰でも驚くはずだ。 しかし、アメリカの特殊作戦軍司令部(SOCOM)が2015年9月にまとめた白書 (White Paper,The GrayZone)によれば、過去100年間のアメリカの軍事行動のうち、 戦争に該当するのは2回の世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、そして...
有益な資料集『大嘗祭論抄』
高森明勅
先日、長野県・深志神社禰宜(ねぎ)の牟礼(示+豊)仁(むれ・ひとし) 氏から『資料集 大嘗祭(だいじょうさい)論抄・全』 (神社新報時の流れ研究会 研究資料)と同「附録」をご恵送戴いた。 題名に「全」とあるのは、『大嘗祭論抄』・同「続」編・同「補遺」編・同 「追補」編を合冊した為だ。 これは実に驚くべきご労作。 前近代・明治・大正・昭和・平成・令和時代の約6...
昭和天皇の「自己批判」
高森明勅
終戦後、昭和天皇はご自身を厳しく責めておられた。 その一端は、例えば先頃のNHKスペシャル「昭和天皇は何を語ったか」 (8月17日放送)にも描かれたし、恐らくその企画の発端になったであろう、 加藤恭子氏の『昭和天皇「謝罪詔勅草案」の発見』『昭和天皇と田島道治 と吉田茂』などにも明らかだ。 しかし、ここでは一つの事実だけを紹介しよう。 上皇陛下(当時は皇太子)...
「付和雷同」の重層構造
高森明勅
昭和天皇が「戦争防止の困難だった一つの原因」とされた 国民の「付和雷同性」。 あるテーマについて、皆が同じように反応する。 同じように反応しない者には強い「同調圧力」が掛かる。 或いは“圧力”を先回りして感じ取り、自ら進んで同じような 反応をしてみせる。 更に、積極的に圧力を掛ける側に無意識のうちに回る。 それらの相乗作用によって、いわゆる「空気の支配」が生...
韓国の「反日」3段階
高森明勅
西岡力氏が韓国における「反日」に3つの段階があることを 指摘しておられる。 第1段階―“反共(共産主義に反対する)反日”。 「そもそも、国交正常化以降の韓国の反日は、同じ自由陣営に いながら日本が容共(共産主義を容認する)的で北朝鮮に甘いという 『反共反日』だった」 第2段階―“功利的反日”。 「82年(昭和57年)、日本のマスコミの誤報が契機で、 中国がは...
終戦記念日の「おことば」の深さ
高森明勅
終戦記念日の天皇陛下の「おことば」。 その中にこんな一節があった。 「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、 深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、 戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意 を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」 これは「おことば」中の焦点と申し上げても...
「おことば」の誠実さ
高森明勅
全国戦没者追悼式での天皇陛下の「おことば」。 上皇陛下の「おことば」の多くの部分を踏襲されていた。 これは天皇という地位の継承性、上皇陛下のおことばの 完成度の高さから、当然だ。 特に焦点となるのは「深い反省」。 これは、昭和天皇のお気持ちを上皇陛下が真摯(しんし)に受け継がれ、 率直(そっちょく)なご表現として(平成27年に)お加えになった (「ここに歴史...
昭和天皇の靖国神社ご親拝
高森明勅
昭和から平成に時代が変わって間もない頃。 私はまだ30歳代前半だった。 東京駅近くの会場で講演をした。 講演終了後、年輩の方からこんな質問が。 「私は先の大戦の際、一兵卒として戦場に出ました。 その時に、私の隣で戦友が頭を撃ち抜かれて戦死した。 だから私は毎年、終戦記念日には靖国神社にお参りしています。 昭和天皇には、亡くなられる前にせめて一度だけでも靖国神...