高森明勅

昭和天皇からの「恩義」

高森明勅

皇室・皇統問題
2019年 9月 3日

昭和天皇の「戦争責任」を巡る大原康男氏の論文(「『天皇の戦争責任』覚え書き」)
に、文芸評論家だった亀井勝一郎氏の次の一文が掲げてあった。

「私は現陛下(昭和天皇)によって救われた身であることを第一に述べて
おかねばならぬ。

終戦の御聖断が若(も)しなかったならば、国内は戦場となり、国民の大半を
死なしめた
であろう。
仮りに免れたとしても餓死は免れえなかったであろう。
私はともかく生き残ったのだ。
今日に生きている根拠は御聖断である。
その恩義を私は感じている。
生命を救われた上で、救いを賜(たまわ)った陛下を嘲罵(ちょうば)し、
その道徳的責任
を云々(うんぬん)することは、私の道徳的感覚が許さない」

 

ーあの時の「御聖断」(正しくは“聖断”)がいかに至難な事であったかは、
私自身、これまでに幾度か指摘して来た。
こういう文章を読むと亡父の言葉を思い出す。

私の父は戦時中、17歳で自ら特攻隊に志願した。
だが出撃前に昭和天皇の聖断が下って、かろうじて生き延びることが出来た。
その事実に父は生涯、重い恩義を感じていた。父は幼少の私に繰り返し語った。
「俺が今、生きているのは天皇陛下の終戦の聖断のお蔭だ。
あの聖断がもう少し遅れていたら、確実に死んでいた。
死んでも後悔は無かった。
でも陛下のお蔭で生き延びることが出来た。
だから、絶対に無駄な人生は送らない。
お前も陛下の聖断が無ければ当然、この世には生まれていない。
だから、天皇陛下の有難さに感謝しろ。
俺もお前も陛下のお蔭で今、こうやって生きているんだぞ」と。

父はその言葉の通り、決して無駄な人生は送らなかった。
果たして私はどうか…。

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