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Zoom高森塾、意外と好評
高森明勅
先月の高森稽古照今塾(非公式の別名、爆笑!目からウロコ塾)は 残念ながらZoomを利用したオンライン講義を余儀なくされた。 しかし、受講者の感想文を読むと意外に好評なようだ。 以下に感想文の一部を紹介する。 「Zoomで画面いっぱいに高森先生が映り、向き合うということもあり、普段よりも高森先生を近くに感じられました。また、周りの目がないのでより集...
マヤ文明を巡る新発見
高森明勅
古代マヤ文明を巡り次のような報道。 「古代マヤ文明の遺跡の調査を進める日本や米国、 メキシコなどの研究チームが、メキシコ南部のアグアダ ・フェニックス遺跡で、同文明で最大とみられる建造物を確認した。 南北約1400メートル、東西約400メートルにわたっており、 祭祀(さいし)用とみられる。 紀元前1千年~800年に築かれたとみられ、研究チームは 『社会的な不...
英語で皇室を巡って討議
高森明勅
高森稽古照今塾の優等生Kさん。 若く向学心に溢れる綺麗な女性だ。 先月の塾の感想文に次のように書いてあった。 「先日、オンライン英会話でイギリス人と日本の皇室について ディスカッションしました。 その際に、日本のトップは天皇だが、政治と分かれていて 日本人から厚い信頼を得ている点や、天皇は神話の神様(天照大御神) の血筋を受け継いでいるという点を...
東京新聞にインタビュー記事
高森明勅
東京新聞(5月31日付)に私のインタビュー記事が掲載された。 「代替わり考 皇位の安定継承」というシリーズ。 これまでに小田部雄次氏、河西秀哉氏、所功氏、百地章氏などが 登場している。それぞれ代表的な研究者だ。私の記事の一部を紹介する。 「憲法は皇位継承の『世襲』制のみを定め、皇室典範で『男系男子』 に限定している。 現在は男系男子にこだわるあま...
皇后陛下がカイコのお世話
高森明勅
5月29日、皇后陛下は皇居内の御養蚕所(ごようさんじょ)にて、 8~9センチ程に育った純国産種のカイコ「小石丸」に、 皇居で育てた桑の葉を丁寧にお与えになった(給桑、きゅうそう)。 その時、カイコが桑の葉を食べる微(かす)かな音に、 穏やかに耳を傾けておられたという。 皇后陛下のお優しさが伝わる。 皇居での皇后陛下の御養蚕は、明治天皇の皇后だった昭憲皇太后が...
「愛」という語の初出
高森明勅
天皇・皇后両陛下のご長女、敬宮(としのみや)愛子内親王殿下。 直系の皇族(内廷皇族)としてお生まれなので、 ご実名(愛子)とご称号(敬宮)を天皇(今の上皇陛下)から 授けられた。 選ばれた3人の学者が協議して、複数の候補を選び、 その過程で天皇・皇后両陛下(当時は皇太子・同妃)のご意向を汲みつつ、 最終的に3つに絞られた中から、慎重にお決めになった。 出典は...
「独断」「独裁」をするな!
高森明勅
聖徳太子の憲法十七条。 冒頭は有名だが、最後の条文を知っている人は どのくらいいるだろうか? 日本古典文学大系本によって引用しよう(但し一部改めた)。 「夫(そ)れ事(こと)は独(ひと)り断(さだ)むべからず。 必ず衆(もろもろ)と論(あげつら)ふべし。 少(いささけき)事は是(これ)軽(かろ)し。 必ずしも衆とすべからず。 唯(ただ)大きなる...
「和を以て貴しとなす」の真意
高森明勅
「憲法十七条」の冒頭は極めて有名。 だが、一般に誤解されているのではあるまいか。 日本古典文学大系本によって第1条の全文を紹介する (但し林勉氏の指摘により一部の訓み方を改めた)。 「和(やわら)ぐを以(もち)て貴(とうと)しとし、忤(さか)ふること無きを宗(むね)とせよ。人(ひと)皆党(たむら)有(あ)り。亦(また)達(さと)る者少なし。是(こ...
「憲法十七条」の信憑性
高森明勅
今年、編纂(へんさん)千三百年を迎えた日本書紀。 その様々な記事の中でも特に注目すべき1つが、 推古天皇の統治を支えた聖徳太子の憲法十七条だ。 しかし、その信憑性を疑う意見が根強くあった。 だが近年の歴史学界では、基本的に信頼して良いとする見方が有力だ。 以下の通り。 「憲法十七条については…当時に実際に作成されたものか、 作成者は『日本書紀』が記すように聖...
「公」という語の初出
高森明勅
初めて「公(おおやけ)」という語を確認できる日本国内の文献は何か? 聖徳太子の「憲法十七条」(604年)だ。 「公事」(8条)「公務」(13条)「公」(12・15条)という用例が出てくる。 例えば15条には以下のようにあった。 「私(わたくし)を背きて公に向(ゆ)くは、是(これ)臣が道なり」と。明らかにシナの『韓非子(かんぴし)』の記述を踏まえた...
上皇は歴史的に天皇の下位
高森明勅
室町幕府3代将軍で、公家・武家双方の頂点に立った とも見られている足利義満。その国家的な位置付けを巡る問題は、 天皇の「本質」を探る上で貴重な示唆を含む。 そこで引き続き、義満が皇位の簒奪を狙っていたという 説を批判した見解を、紹介する。 「義満に数々の『僭上(せんじょう=身分・権限を越えた ことをすること)』の振る舞いがあり、あるいは現実に 太上(だいじょ...
秋篠宮殿下と「立皇嗣の礼」
高森明勅
東京新聞の吉原康和記者からご著書『令和の「代替わり」 ―変わる皇室、変わらぬ伝統』(山川出版社)を送って戴いた。 これまで何度も取材に応じて来た記者(編集委員)だ (一番新しくインタビューに答えた内容は近く掲載予定)。 この度の御代替わりを巡るメディア関係者の著書は何種類もある。 だが、単独の記者によって纏められた本は、珍しいのではないか。 今回の一連の出来...
顕宗天皇・仁賢天皇の即位事情
高森明勅
歴史上、初めての皇統断絶の危機だった清寧天皇(22代) の後の、顕宗(けんぞう)天皇・仁賢(にんけん)天皇 の即位。この時の様子は古事記・播磨国風土記 ・日本書紀に記事がある。雄略天皇が市辺押磐皇子(いちのべのおしわのみこ) らを殺害。 →皇子のお子様だったオケ・ヲケ王が逃亡。 →2王が播磨の豪族(忍海部造細目、おしぬみべのみやつこ ・ほそめ)のもとに暫く潜...