早速、竹田恒泰の詭弁論破が来ています!
【mantokunさん】
トッキーさんのブログを拝見し、愛子さまサイトの竹田恒泰論破記事に投稿したコメントをこちらにも投稿させていただきます。
「恥ずかしい間違い」だの「素人」だの知識マウントで黙らせようとした竹田が、歴史的・法的に完璧な高野さんの返信に改行もなしに長文をまくしたて、しかもその根拠が谷田川惣という、それこそ歴史素人のライターが書いた入門書とは!
冒頭の
>ご質問の趣旨がいまいちよく分かりません
ですでに、高野さんのご返信がまさにその通りであり、竹田が完全に降参してることは明らかですね。
養老令の規定では、内親王は三世王までとの婚姻しか認められていませんでしたが、早くも9世紀初めの平安時代初期に、嵯峨天皇が臣籍降下させた娘の潔姫を藤原良房に嫁がせています。潔姫は臣下の妃となった史料上初の皇女で、ここですでに皇女の婚姻規定は事実上無効となっています。
しかし、その後も「女帝の子も亦同じ」という継嗣令の規定は改正されず、江戸時代末まで1000年以上にわたり有効でした。こちらの事実のほうが何よりも重要です。
高野さんのご指摘がまさに核心をついていたからこそ、竹田は
>百歩譲って継嗣令が女系天皇を認めていたとしても、千年以上適用されていない
>男系を頑なに維持してきた千年に及ぶ慣習の重みを重視するのは当然
などと、倉山満の「皇室は何より先例が重視される」と同レベルの「皇室の掟」論にすがるしかなくなったのです。
男系継承が何より大事なら養老継嗣令でそう規定していたはずですが、養老年間とはまさに、女性天皇にして女系天皇である元正天皇が在位していた時代です。その時に、そんな規定を令に書き込めるはずがありません。
菅原浩太さんのポストにあるように、継嗣令に従えば二十世も離れた旧宮家の男系男子は皇族とは認められません(そもそも80年も前に皇籍離脱しているので、元から皇族じゃないけど)。また、記紀の「命」「王」「姫」の称号の記載法の検証により、律令制が確立した時代には五世孫までが皇親の範囲とされていたこと、継体天皇が「応神天皇の五世孫」と記紀に記載されたのも、当時のこの通念に基づいたからだというのは、すでに日本古代史の通説です。
「皇親の範囲は五世孫まで」という規定は、実際に大正9年施行の「皇族ノ降下ニ関スル施行準則」にまで引き継がれており、「性別より、直系に近い皇族を重視する」ことこそ皇室の伝統です。
竹田恒泰は明治天皇の玄孫(しかも正確には女系の玄孫)という生まれを振りかざして専門家を気取り、あろうことか旧統一協会とも関係を持ち、「旧宮家の子孫を養子にすべし」などという的外れな案を国会議員に吹聴して皇統問題を延々と膠着させた元凶です。
そんな曰く付きの御仁が、今ごろになってSNSで「素人」に論破されて返答に詰まり、研究者でもない一ライターの入門書やら、男系ネタで食い繋いでるだけの自称専門家と同じレベルのことを言い始める体たらく。完全に化けの皮が剥がれましたね。
竹田を准皇族か何かのように崇め、愛子さまの皇位継承に反対し、皇室典範改正を妨害してきた連中は全員、腹でも切って天皇陛下と上皇陛下にお詫びしてほしいくらいです。
マウント取りに来たら、負けを認めているのと同じ。
これは鉄則ですね!
こちらは「皇位の安定的継承」が目的。
あちらは「何の根拠もないけど、オレ様はエライ!」と言いたいのが目的。
そもそも最初っから、目的としていることが全く違うのです。
何もないのに「オレ様エライ!」と言いたいだけのバカのために、皇室を滅ぼすわけにはいきません。戦わなければなりません! 論破祭り続行です!