高森明勅

『表現者』座談会

高森明勅

2016年 9月 15日

9月12日、隔月刊誌『表現者』の座談会。

テーマは「天皇はいかなる存在なのか」。

メンバーは西部邁先生の他、文芸評論家で
関東学院大学教授の富岡幸一郎氏、
文筆家の澤村修治氏、
京都大学准教授の柴山桂太氏。

当初、他に東京工業大学教授の中島岳志氏も参加と聞いていた。

しかし何らかの事情で参加出来なかったようだ。

西部先生にお会いするのは久しぶり。

澤村・柴山両氏とは初対面。

富岡氏とは2ヶ月に1度位、会う機会がある。

座談会での西部氏の発言には、
即座に訂正ないし
補足しなければならない場合も、しばしば。

だが、さすがに傾聴すべき含蓄のある貴重な発言も。

特に、保守系知識人の一部に見られる雅子妃殿下への
バッシングに対する
独自の批判は、興味深かった。

更に、スケールの大きな理論的・体系的な天皇論、皇室論の
構想の片鱗を窺わせる指摘もあり(
勿論、その全てに賛同できる訳
ではないが)、
私にとって有意義な座談会だった。

なお女性・女系天皇については、西部氏は以前から
独特のロジックで容認。

富岡氏も口振りからは容認論らしい。

澤村氏が「側室無くして男系限定は続かない」と認めながら
女系を認めるかは保留」などと中途半端で無責任な発言されたので、
やや“追撃”しておいた。

終了後、近くの中華料理屋でビールなどを飲みながら懇談。

西部氏が7歳の時(敗戦1年後)、兄と一緒に訳も分からず当時、
流行していた「天チャン」という語を口にしていたら、戦時中は
反軍国主義的だった父親から「不遜だ!」と叱られて、
強烈な
往復ビンタを5、6発も喰らったという。

「その頃、『不遜』なんて言葉を知るはずもなかったが、
その言葉の意味は痛烈に分かった」と。

それが西部氏の最初の「天皇」体験だったようだ。

恐らく“幸運”な経験と言ってよいのだろう。

先ほどの座談会で聴いた西部氏の、天皇を「超越と世俗」の
マージナル・ライン(境界線)
上に位置付ける抽象的な理論の
背景には、
そうした忘れ難い体験があったのだ。

「聖域」であるべき皇室の方々への、非礼かつ不遜な“バッシング”
に対する、氏の反発の因って来る由縁も、理解出来た気がした。

二次会にも誘って戴いた。

でも遠くに帰るので失礼した。

西部氏には9月30日にもお会いすることになっている。

東京MXテレビの番組「西部邁ゼミナール」
にゲストとして招かれ、
放送2回分の収録が予定されている為。

楽しく話せそ
うだ。