高森明勅

昭和天皇「終戦」への願い

高森明勅

皇室・皇統問題
2019年 8月 11日

大東亜戦争が秩序ある終戦を迎えられたのは、
昭和天皇の我が身を顧みない無私の「聖断」によるところが絶大だった。
昭和天皇が「終戦」を意識されたのはいつ頃からか。
昭和天皇の側近に仕える内大臣だった木戸幸一の日記には、
開戦から僅か3ヶ月後の昭和17年2月10日に、天皇が東条英機首相に
次のように告げられた事実を記している。

「戦争終結につきては機会を失せざる様(よう)充分考慮し
居(お)ることとは思うが、人類平和の為にも徒(いたずら)に
戦争長びきて惨害の拡大し行くは好ましからず。
又(また)長引けば自然(に)軍の素質も悪くなることでもあり、
勿論(もちろん)此(この)問題は相手のあることでもあり、
今後の米英(アメリカとイギリス)の出方にもよるべく、
又独ソ(ドイツとソ連)の間の今後の推移を見極めるの要もあるべく、
且(かつ)又、南方の資源獲得処理についても中途にして能(よ)く
其(そ)の成果を挙げ得ない様でも困るが、それ等(ら)を
充分考慮して遺漏のない対策を講ずる様にせよ」(12日条)と。

早くもこの時点で「戦争終結」を視野に入れておられたことが分かる。
更に、同年1月の歌会始(うたかいはじめ)に既に次のような
御製(ぎょせい)を詠(よ)んでおられた。


峯(みね)つづき

おほふ(覆う)むら雲
ふく風の
はやくはらへと
ただいのるなり

(連峰に暗雲〔あんうん〕が重く垂れ込めている。
どうか一陣の風が吹いて、その黒雲〔くろくも〕を
早く吹き払って欲しいと、ひたすら祈っている)


これは明らかに、「戦雲(せんうん=戦争)よ、早く去れ」と
平和回復への“祈り”を詠んでおられる。
戦争終結へのお気持ちを込められた和歌に他ならないだろう。
昭和天皇は開戦直後から、「終戦」つまり平和が少しでも
“早く”訪れることを、切に願っておられた。

ちなみに開戦の前年、
昭和15年の歌会始の御製は次の通り。

西ひがし

むつみかはして(睦み交わして)
栄(さか)ゆかむ
世をこそ祈れ
としのはじめに(年の始めに)

昭和天皇は世界の平和共存(きょうそん、近年はキョウゾンとも)
と互恵共栄こそを祈っておられた。

 

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