今朝から「論破祭り」状態になっている施光恒、三橋貴明の動画について、もうひとつ気になったことがあるので、ついでに書いときます。
施は「日本語と日本人の道徳意識」について触れ、欧米では「自己認識が先、状況認識があと」だが、日本では逆で、「自分」は必ず状況における他者や事物、役割との関係によって認識され、「状況認識が先、自己認識があと」になると指摘しました。
「日本人は『世間』で生きている」というのはとかくマイナス面が強調されるものですが、物事には両面があるもので、それが日本人の特質や美点を形成している面もあって、欧米人も日本語を学んだら自己主張が抑えられて「性格が温和になる」といった現象が起こるらしいのです。
なるほど~、勉強になりますね~。
でも、だったら施や三橋はなぜ、日本人のくせに、「国民の9割が愛子さま支持」という「状況認識」を完全に無視して、「男尊女卑感情」という「自己認識」を何よりも優先させているのでしょうか?
施はこれが日本人の特質だ、これが日本人の美点だと言っているけれども、ただ情報として話しているだけで、一切それを自分に引き付けて考えてはおらず、自分が言った日本人の特質や美点を、自身では何も体現していないわけです。
これじゃあ、いくらお勉強して知識として持っていたって、全く無意味です。
ネトウヨはいろんな知識をつまみ食いして「日本スゴイ!日本人スゴイ!」と言いまくりますが、言ってる本人は、その「スゴイ日本人」の気質とは全く無縁です。
ただ「日本スゴイ」という情報を知っているというだけで、自分もスゴイと思い込むバカタレです。
で、施の言説もこれと全く同じ。
施光恒の内心は完全なネトウヨだということが丸見えになっているわけです。
かつて西部邁は、「言論人は娼婦よりも恥ずかしい。娼婦は体を見せるだけだが、言論人は心の中まで見せてしまう」というようなことを言ってましたが、その弟子筋のはずの施は、この言葉を知っているんでしょうか?