高森明勅

コレラ禍のパリにて

高森明勅

その他ニュース
2020年 8月 22日

著名な「愛と革命」の詩人、ハインリヒ・ハイネ。
1832年にコレラが突然フランスで流行して、毒物混入の流言蜚語(ひご)を
警察当局が認めるような公示を出し、これに激昂(げきこう、げっこう)
した民衆が、“怪しげ”な人間を次々に虐殺して回った事件を、
パリの現地から報告していた。

「ヴォラジール通りでは、白い散薬を持っていたため2人が殺された。
私が見たとき、災難にあった2人のうち1人はまだ喉(のど)を
ごろごろ言わせていた。
だがちょうどそこへ老婆たちがやってきて、木靴を脱ぎ、それで瀕死(ひんし)
の男の頭を殴りつづけ、ついに息を引きとらせてしまった。
男は丸裸であった。

残虐この上なく殴りつぶされ、踏みくだかれていた。
衣服はおろか、毛髪、陰部、唇、鼻まで引きちぎられていた。
そして1人の乱暴者が紐(ひも)を死体の足に結(ゆ)え、
通りを引きずり歩いた、『これがコレラだ』と絶えず叫びながら。
胸をはだけ、手を血まみれにした素晴らしく美しい、怒りで蒼白(そうはく)
になった1人の女性が立っていた。

女は死体が近づいてくると、なおも足蹴(あしげ)りを1回くらわせた」
(「フランスの状態」『ハイネ散文作品集』第1巻)

近来、国内の新型コロナ恐怖症が生み出した「自粛警察」「マスク警察」
などの動きの奥底にも、パリの惨劇の際の、正義の仮面を被(かぶ)った、
恐怖と憎悪と狂気に通じる激情の“芽生え”を、仄(ほの)かに
予感させるものがある。

【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/