2月14日のゴー宣道場は「世界大戦は始まるか?」がテーマ。
「戦争と日本人」について思うところをつらつら書いてみたい。
その①は、真珠湾攻撃は大東亜戦争の「始まり」か、という点だ。
第二次世界大戦というと、世界史的にいえばドイツのポーランド侵攻、日本史的な観点でいえば真珠湾攻撃。それによって端緒が開かれたと見る向きが多いだろう。
実際、歴史の授業ではそのように習うことが多い。
ただ、そうした見方は、大事な視点を見落としてしまうのではないかと私は思っている。
歴史はある一つの出来事が突然起きて、ガラリと変わるものではない。
「何てことのない日常」だったり、「アレ、それでいいの」と思うことの積み重ねだったりで、結果的にエポックメイキングな事象が発生する。
たとえばドイツは、いきなりポーランドに侵攻したのではない。
その前にヒトラーはオーストリアを併合し、さらにチェコのズデーテン地方をくれと要求した。
「まあ、そのくらいいいんじゃないの」と英仏が及び腰になったことで、ヒトラーは「これは行ける」と踏んだ。
そのヒトラーがなぜ台頭したのかといえば、経済問題だ。
世界大恐慌とそれに伴うブロック経済、さらに第一次大戦の多額の賠償金に苦しめられていたドイツは、国民が一致団結して活路を見出そうと訴えるナチ党を熱狂的に支持した。
このとき、ナチス・ドイツとヒトラーの最期を想像した人は一人としていなかったはずだ。
日本も同じである。
突然、真珠湾を攻撃したのではない。それ以前に、盧溝橋事件で全面衝突となった支那事変がドロ沼化していた。なぜドロ沼化していたかといえば、英米が蒋介石を支援していたからだ。
日本は「バスに乗り遅れるな」とばかりにドイツと組み、南進政策を進めた。
なぜ南進したかといえば、日本は資源のない「持たざる国」だったからだ。英米を牽制し、支那事変を終わらせることが目的だった。
このとき、5年後には本土が焦土と化し、米国によって原爆を落とされ、降伏することを想像した日本人は果たしていただろうか。
歴史はブツ切りで捉えると、現代に何も活かされないただの暗記項目となる。
でも当時の人々だって私たちと同じように「今」を生きていたのだ。ほんのちょっとしたボタンの掛け違いが何をもたらすか、正確にはわからない。その掛け違いが続き、気がついたときには後戻りできない事象となって現れる。
すると、真珠湾攻撃は大東亜戦争の「始まり」ではなく、それ以前から続く大陸でのドロ沼化した戦争の「結果」と見ることもできる。
だとするなら、「真珠湾攻撃のような大規模な攻勢を仕掛けなければよい」という話にはならない。こちらが仕掛けなければ戦争にならない、なんて甘いものでもない。
中国に対する態度はどうか、米国に対する態度はどうか、あるいはロシアに対しては、中東に対しては?
常に大局を見て吟味しなければならないのだ。それが、歴史が教える第一の眼目だろう。
私たちの「今」は本当に大丈夫か?
「中国、何するものぞ」と威勢の良い声を上げることが本当に国益に叶うのか?
私は大いに疑念を持っている。