高森明勅

戦争は常にあり得る

高森明勅

政治・経済
2018年 11月 12日

京都で初めてのゴー宣道場。

笹幸恵師範の基調講演は聴き応えがあった。

大東亜戦争を戦った兵士達が守りたかったのは
今のような日本なのか。

しきりに反省させられた。

ところで、当日の私の発言は極端に聞こえただろうか。

近代国民国家にとって、
自衛権の行使(自衛の為の制約された武力行使)は、
可能性としては“常に”あり得る
(それは国際法上、戦争とは区別されるものの、
実態において大差がある訳ではない)。

「戦力」=軍隊を保持できない、
つまり個別的自衛権すら十全に行使できない
ままの戦後日本の国民達は、その“当たり前”の事実から
敢えて目を反らしているのか。

それとも、そんな事実はとっくに忘れ去ってしまったか。

しかし、世界はいまだに戦争(武力行使)を放棄していない。

その冷厳な現実認識に立脚すれば、
私の発言は別に風変わりなものではないと、
ご理解戴けるはずだ
(調子に乗って連発したギャグはともかく)。