「ドーパミン・カルチャー」という言葉があります。
これは、脳の報酬系物質であるドーパミンを分泌させる「短期的な快楽や刺激」が、テクノロジーやアルゴリズムを通して絶え間なく提供し続けられる現代の社会状況を風刺した言葉で、テッド・ジョイアという人が「The State of the Culture, 2024」という論考の中で用いた所から注目を集めました。
ジョイアは、人類の文化が以下の4段階を経て変容して、現在は4.の段階にあると指摘しています。
1.アート(芸術): 伝統的な文化。深い洞察や美を伴うもの。
2.エンターテインメント(娯楽): アートをより大衆向けに、楽しく消費しやすくしたもの(映画、音楽、ドラマなど)。
3.ディストラクション(気晴らし): エンターテインメントがさらに細分化・短縮化されたもの(SNSのスクロール、短尺動画)。
4.アディクション(依存): 目的が「楽しむこと」ではなく、単に「刺激を得るための強迫的な行動」になった状態。
この4.こそが、ドーパミン・カルチャーの正体です。
例えば「皇室」という存在の本質は1.に属すると思いますが、一般参賀などは2.の要素も多分に含まれていると私は感じています。「エンタメ要素」は文化の裾野を広げ、懐を深めるものであり、1.と2.が健全なバランスを保つ事こそが、社会とそこに生きる人の心を豊かにする。ゴー宣DOJOの基本精神も、真髄はそこにあるというのが私の考えです。
一方、テッド・ジョイアの指摘通り、現代社会は4.に深く侵されています。皇室に関する事でも、男系男子固執のネトウヨ層に限らず、言葉としては「愛子さま推し」でも、同時に偏執的な秋篠宮家バッシングなどを行っている者のポストなどを見ると、まさに「強迫的な行動」にしか見えず、これも2.(言い換えれば「常識に根ざした庶民感覚」)から大きく遊離した「依存症患者」の姿なのでしょう。
さて、トランプは「麻薬カルテルのボスを拘束する法執行活動」という異空間的大義名分を掲げてベネズエラへ侵攻しましたが、実はトランプ自身が、ドーパミン・カルチャー依存者に「ブツ」(刺激)を提供し続ける事で現在の地位を得た、言わば「ドーパミン・カルチャーの麻薬王」みたいな存在です。
これ完全に「おう、ウチのシマでチョロチョロ商売しとるあのオヤジさらって来いや!」という仁義なき戦い。マドゥロ組にエグいショバ代を取られてた人たちは一時的に喜ぶでしょうが、「ウチが運営する」と言って入ってきたトランプ組が、果たしてベネズエラ町に幸福な秩序をもたらす事は可能なのか?
ますます修羅の道まっしぐらな世界ですが、うちの国のボスは「姐さん」的な器ではなく、「常連客(ネトウヨ)にヤク(ドーパミン・カルチャー)を捌くケチな商売してるスナックのママ(トランプ組長に色目を使って虎の威を借りてるけど、抗争の中では何もできない)」ですからねえ…。
「スナックさなえ」のママ、そろそろ常連客へのブツ(刺激)提供もおぼつかなくなって来るのではないでしょうか?
ドーパミン・カルチャーについては、また別視点でも色々書きたいと思っています。