高森明勅

元記者が語る最晩年の昭和天皇

高森明勅

2015年 8月 7日

昭和天皇の最晩年に皇室記者として取材していた人物の証言。

1)水野和伸氏(東京新聞)

「崩御(ほうぎょ)される前年の夏に、
那須でお会いしたのが最後でした。
一般の方には、テレビなどで流れる、どこか飄々とした
独特のしゃべりの印象が強いかも知れませんが、
そのときは、
ご病気がだいぶ進行されていたにもかかわらず、
ものすごく強烈な存在感がありましたね。

もちろん、ご病気になられる前は、
それこそ永遠に生きられるんじゃないかと思ってしまうほど
お元気
な印象でした。

それと、わたしが見てきた最晩年の昭和天皇には、
先の戦争で亡くなられた何百万人という方に対する責任を
非常に強
く感じられていたように思います。

沖縄へのご訪問が最後まで心残りだったことにも
現れているように
思います。

…手術により(沖縄ご訪問は)事実上不可能になるんですが、
それでも少しよくなられたときに、
侍従に取材すると、
ぽつぽつっと側近に

『なんとしても(沖縄に)行きたい』と言われていたというんです」。

(2)広田勝己氏(毎日新聞)

「印象に残っているのは、
結果的に最後になった1988(昭和63)年4月29日、
87歳の誕生日の際の記者会見です

そのとき、
『あらためて先の大戦についてのお考えを』という代表質問に対し、

『いちばん嫌な思い出であります。
戦後、国民があい協力して平和のために努めてくれたことを
うれしく思っ
ています。

今後も国民がそのことを忘れずに平和を守ってくれることを
期待し
ます』

と答えられた。

さらに、毎日のキャップが

日本が戦争への道を突き進んでしまった最大の原因は、
なんだったとお考えでしょうか』
と質問したのですが、

そのことは、人の、人物の批判とかそういうものが加わりますから、
今、
ここで述べることは避けたいと思っています』

とおっしゃった。

その時、眼に涙を浮かべられたのです」。

(『別冊歴史REAL 昭和天皇』より)