高森明勅

三島由紀夫の憲法改正への「警戒」

高森明勅

2015年 11月 24日

昭和45年11月25日、三島由紀夫は「憲法改正」を訴えて
自決した。

だが、その三島が同時に、憲法改正への深い警戒感を、
率直に表明していた事実を見落としてはならない。

すなわち、その「問題提起(日本国憲法)」で以下のように
述べていた。

もし現憲法の部分的改正によつて、第9条だけが改正されるならば、
日本は楽々と米軍事体制の好餌となり、自立はさらに失はれ、
日本の歴史・伝統・文化は、さらに危殆に瀕するであらう。

われわれは、(憲法)第1章・第2章の対立矛盾に目を向け、
この対立矛盾を解消することによつて、日本の国防上の権利(第2章)
を、民族目的(第1章)に限局させようと努め、
その上で真の自立の平和主義を、はじめて追求しうるのである。

従つて、第1章の国体明示の改正なしに、
第2章のみの改正に
手をつけることは、
国家百年の大計を誤るものであり、
第1章改正と第2章改正は、
あくまで相互のバランスの上にあることを
忘れてはならない」

9条の改廃を決して独立にそれ自体として考えてはならぬ、
第1章『天皇』の問題と、第20条『信教の自由』に関する
神道の問題と関連させて考えなくては、折角『憲法改正』
を推進し
も、却ってアメリカの思ふ壺におちいり、
日本は独立国家として
本然の姿を開顕する結果にならぬ」と。

私は何も、三島由紀夫の一言一句を全て、
金科玉条のように扱うつもりはないし、そうすべきだとも考えない。

だが少なくとも、憲法改正を真剣に考えるなら、
ここに見られるアメリカの軍事戦略に対する切実な緊張感と、
日本の自立の根拠となる独自の「歴史・伝統・文化」「国体」への
問題意識は、何としても共有すべきだろう。

日本が真に「自立」する為の憲法改正であり、
アメリカに一層“奉仕”
する為の憲法改正であってはならないからだ。