高森明勅

『SAPIO』も「生前退位」特集

高森明勅

2016年 8月 5日

『SAPIO』9月号は「畏るべき天皇陛下」という特集。

どこかで聞いたような…。

執筆者は、富岡幸一郎・小林よしのり・百地章の各氏。

富岡氏いわく
「『象徴天皇』としての歴史的意義を示され、
その責務を果たされることで、
国民と共にある皇室の存在理由を、
新しい歴史の頁に記された今上陛下の意志を何よりも尊いものとして、
大切に受け止めるべきではないだろうか」と。

まさに然り。

一方、富岡氏ご自身は否定されたが、
「退位を認めた場合に、
憲法が定める『国民の総意に基づく』
という天皇の『地位』
と矛盾しないかといった見解もある」という。

だが憲法は、崩御でも譲位でも、「世襲」継承なら
「国民の総意に基づく」
という立場。

両者を区別する根拠はない。

小林氏いわく
生前退位は暗黙の『ご聖断』のようなものだ」と。

恭しく陛下の思し召しに従おうとされる。

百地氏だけはそうではない。

あくまで「『摂政』を置くべき」と主張。

「もし譲位制が採用された場合には、退位された天皇(先帝)の
権威を利用したり、
恣意的に天皇を譲位させようとする者が
出てこないとは限らない。
また、譲位制の下では、新帝と先帝が
同時に存在することから、
国民を精神的に統合する上で支障は
生じないだろうか」と。

だからご健康な陛下に、ご本人のご意向に背いてまで、
当事者能力なし!」の烙印を押すことを意味する摂政を置いて良い、
という結論には決してならない。

先帝の権威を利用しようとする不埒な輩が現れたらどうする?
って。

他人事ではない。

国民の責任でそんな輩の出現を予め抑えねばならない。

万一現れたら断固、排除する迄。

そもそも、恣意的に譲位させようとする輩が現れる心配はある一方、
恣意的に摂政を置こうとする輩が現れる恐れはないのか
既に現れかけている気もするが)。

どちらも皇室会議を厳重に運用することで対処できるはずだ
だからこそ「柔軟」な解釈は許されない)。

新帝と先帝が同時に存在する状態で、
いかに国民の精神的な統合を
磐石たらしめるか。

そこに最も意を注いでおられるのは、他ならぬ陛下ご自身だろう。

もし、陛下がそんなこともお気づきでないと思っているなら、
とんでもない心得違い。

陛下は、先帝がいらっしゃることで、かえって
新帝の下での統合がより万全になるよう最大限、
お心を砕かれるに違いない。

そして、それは後代へのかけがえのないお手本となるだろう。

設置要件を「柔軟に解釈」して摂政を置くことが
陛下のお気持ちにも添う」って。

どうしてそうなるのか。