小林よしのり

譲位は制度化するべきである

小林よしのり

日々の出来事
2016年 10月 23日


「朝ナマ」で八木秀次は特別立法で一代限りの譲位をさせることは

憲法違反だと明確に主張した。

これは竹田恒泰と真反対の意見であり、「退位」も「即位」も特措法で

片づけるという暴論を否定したので、わしは「憲法学者のプライドは

あるようだな」と評価した。

 

だが、八木は譲位を制度化することに反対している。

したがって、天皇陛下のご意向を100%無視せよという意見になる。

これも暴論中の暴論で、八木が主張しても、もはや手遅れだ。

国民のほとんどが「生前退位」に賛成しているが、それは移ろい

やすい「世論」だと言っても説得力がない。

「世論」というものは「大衆」の一時の熱狂もあるが、「庶民」の

真っ当な常識もある。

天皇陛下に同情し、退位させてあげたいと思うのは「庶民感情」で

あって、「大衆的世論」ではない。

 

八木は皇室典範を変えるな、今のままで行けという主張だ。

「1人の自由意思での退位を認めたら、次の代が即位を辞退する
意思も
認めねばならなくなる。もし万一、いよいよ悠仁さまが
即位というときに、拒否したらどう
なるのだ?そこで皇室が
絶えるぞ」というわけだ。

あきれたことに悠仁さま一人になるまで、今の皇室の危機的状況を

放っておくつもりらしい。

悠仁さま一人になることが歴然としている状況の中で、そもそも

一般女性が皇室に入るはずがない。

自分が男子を産まなければ皇統が絶えるという恐るべき危機を

引き受ける女性など99%いないだろう。

悠仁さま一人になったら、すでに皇室の終焉は決定しているのだ。

 

さて、退位の自由も、即位の自由も認めるなという八木の主張は、

ようするに「皇族を奴隷化せよ」という論理である。

自称保守の、特に老人の意見はこれだ。

皇族の自由意思は一切認めない、国民の、特に我々自称保守の

天皇像のままに生きるべしと、彼らは言うのだが、常識ある

国民はそこまで非情ではない。

 

天皇、あるいは皇太子の自由意思を、どこまで認めるか、皇室が

永続してほしいという国民の願いと、どのへんで折衷させるか、

そのバランスをとる案として、高森明勅の皇室典範改正案は、

よくできている。

11月発売の幻冬舎新書に公表するらしいので、多くの人々が

読めばいいと思う。

 

さらに言えば、譲位は制度化せねばならない。

その方が皇位継承は安定化する。

皇室の永続のためには、終身天皇の現行制度では高齢化時代に

対処できない。

「譲位」の必要性に気づかれた今上陛下はやっぱり凄い。

誰も気づかなかったし、今もこれに気づいているのは、ほんの

少数だろう。

 

自称保守のエセ尊皇家ごときが天皇陛下の思慮に敵うわけがない。

わしは88日の玉音放送を吟味して、ますます「承詔必謹」の

意を強くした。

陛下は何ひとつ間違ってはおられない。

畏るべきである。

ただ、日本の知識人のほとんどが陛下の慧眼に気づかないレベル

の頭脳だということが、大問題なのである。