高森明勅

真の「護憲」とは?

高森明勅

2017年 12月 12日

12月のゴー宣道場で、会場からこんな発言があった。

平和主義を重んじる立場からの問いかけだろう。

憲法9条であれだけ厳格に『戦力』不保持を規定していても
駄目なら、
どんな改正をやっても無駄ではないか」と。

こうした懐疑ないし諦めは、
意外と広く持たれているかも知れない。

だが今の憲法には、「戦力」未満の
“実力”組織を規律する条文は、皆無。

これでは事実上、好き勝手をやる事が出来てしまう。

しかも、“戦力不保持”といういびつな形で
個別的自衛権を制約している為に、米軍への「
絶対的」依存を
いつまでも維持する結果になっている。

この「依存」によって、自衛隊はアメリカの国際軍事戦略の
“コマ”
として扱われるのを、避けられない。

実力組織を規律する条文がない一方で、
アメリカの軍事戦略に組み込まるのを必然化する。

それが、今の憲法。

実に危険極まる。

これを「護持」していては、平和主義は決して貫けない。

これに対して、立憲的改憲では、自衛権を確保する
(これで対米依存から脱却へ)と共に、
その行使に厳格な縛りを
設ける(これで平和主義を確保)。

その場合、単に9条の規定を書き換えるだけ、
という粗雑な形ではない。

立法・行政・司法・財政など、
多方面から自衛権の行使を規律する。

だから、今の憲法など比較にならない、
遥かに平和主義的な(
アメリカの戦争に巻き込まれず、
自衛権の行使も厳密にルール化した)憲法になる。

それでこそ憲法の「価値」も守られる。

真の「護憲」とはこうした立場ではないか。