高森明勅

大正天皇例祭

高森明勅

皇室・皇統問題
2020年 12月 25日

12月25日は大正天皇例祭。
大正15年の同日、大正天皇が崩御(ほうぎょ)された。
なので毎年、宮中三殿の皇霊殿にて、同祭が執り行われる。
小祭だから、普通なら天皇と皇太子(今は皇嗣)だけのご奉仕。

しかし、「例祭」の場合、他の皇族方もお加わりになる。
ご先祖への丁重な追慕のお気持ちからだろう。
東京・八王子市の武蔵陵墓地(むさしりようぼち)にある大正天皇の御陵(ごりょう)、
多摩陵(たまのみささぎ)でも祭典が行われる。

大正天皇の御製(ぎょせい)は繊細で格調の高いものが多い。
その方面の才能においては
「近代の3人の天皇の中で、随一の力を持っていられた」(岡野弘彦氏)とされる。
ここでは、これまでに知られている最後の御作、大正10年の「社頭暁」と題された
一首を、謹んで掲げさせて戴く(同年11月25日に摂政が立てられた)。

神まつる
わが白妙(しろたえ)の
袖(そで)の上(へ)に
かつうす(薄)れゆく
みあかし(御灯)のかげ(影)

皇室の恒例祭祀の中でも特に大切な、
新嘗祭(にいなめさい)でのご感慨を詠(よ)まれていた。
この御製については、歌人の水原紫苑(しおん)氏が
以下のように述べておられる。

「神をまつる天皇の白い衣の袖の上に、
暗いうちはあかあかと輝いていた灯明の光が、
暁(あかつき)になって薄れてゆくという、
痛いほど鋭利な感覚である。
実に微細なうつろいさえ、神に向かう魂に刻まないではいられない
作者なのである。
その傷つきやすい心は詩歌人にとっての恩寵(おんちょう)にちがいない。
この不幸な帝王は、あるいは神に愛された人であったかも知れないのだ」―

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