ゴーです~(・∀・)k
あれですね、先週の公論イベント(3/8(日))がめっちゃ面白かった。
小林よしのり先生たちのトークは、紋切型の表現活動とは無縁だった。
俗に、「人の『意見』を批判するのはよいけれど、『人格』を批判するのはよくない」と言われます。その理由は、意見の内容は人格の尊卑とは無関係な場合があるし、人格を批判しだすと内容の議論から逸れてしまいがちだからでしょう。
逆に言えば、その人の意見に人格の卑しさが露骨に反映されている場合や、人格批判が意見の批判に直結する場合は、人格も同時に批判をせざるを得ない。表現活動の中で問題点を抉り出すため敢えて求められる場合すらあるでしょう。当然だよね(・ω・)k
上記3月8日のイベントでは、三橋貴明氏と施光恒氏の対談内容について、ご両名の人格に対する評価も含め、辛辣かつユーモアたっぷりのトークが展開されています。男系男子論が事実誤認に基づくのみならず、誤認の原因が主張者の残念な内面の反映であることが暴露されています。ぜひご視聴ください(・∀・)k
今後、延々と具体的な批判を続けるつもりだけど、とりあえず、ご両名の残念な所を一つずつ指摘しておきたい。
拝察するに、三橋貴明氏はご自分の評論活動は徹底してデータに基づいていると頻繁に豪語されていますね(・∀・)k。動画でもテキストでも、データに基づかない発言をする人を露骨に見下すのは、氏の売りとすら言えるでしょう。しかも、「自分は完璧に理解できたテーマでしか論評しない」という趣旨の発言を度々されている(~o~)。
なのに、井上毅が、皇室典範の制定時に女性を天皇にできない理由は、「男を尊び女を卑しむるの慣習、人民の脳髄を支配する我が国」(謹具意見・明治19年)だったこと、つまり男尊女卑が理由であると自白してることはご存じないようです。ならば、早急に脳内データを更新してね(・ω・)k。その上で、同じ結論を維持できるか改めて説明してください。
また、施光恒氏は、小林よしのり先生が過去に主催された鼎談(2022年6月17日、『国家再生会議「よしりん十番勝負」第2番』で検索して!)で、「男系カルトも困るが、女系カルトも困る」という趣旨の発言をしていたと思います。はてさて(?_?)、私は、女系カルトどころか、皇統は女系が正統だとか、男系より女系が良いと主張する人を見たことがありません。
双系へ戻すことを望む人はいるが、女系を望んでいる人なんて存在しないというのが私の認識です。上記の施氏の物言いが、ワラ人形論法でないと言うのであれば、皇統は女系女子だと強硬に主張する(?)女系カルトが存在することを説明していただきたい。
とかなんとか(・ω・)、まあ言ってみたけど。ご両名とも、どうせ自分の意見を変えたり、釈明したりなんてしないんだろうねぇ。なぜこのような言論活動が平気で出来るの(?_?)。どんなに自分に不都合な事実・データを突きつけられてもスルーだよ(・∀・)k。
こういうのって論理的な思考ができないってことより、論理の前提にある感情が間違ってるんだろ。感情の劣化(宮台真司)ってやつだね(・∀・)k。感情が間違ってるんだから、そりゃぁ人格を批判されるわなぁ(~o~)。人格が卑しいと言わざるを得ないんだよ。人格は感情の外貌だもんなぁ。
あ~(-。-)y-゚゚、倉山満氏を批判するのは弱い者いじめっぽくて気がすすまなかったけど、三橋貴明氏、施光恒氏、藤井聡氏とかは、経済基盤も発言媒体も備えてるし、批判のしがいがあるわ~(・∀・)k。これからずっと、延々と、フザケタ物言いを指弾して行こうっと!何百回でも飽きずに続けようぜ!
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ところで(-_-;)、4月18日(土)、名古屋でまたまた公論イベントが開催されます!
なんちゃって知識人の話に飽き飽きした人こそ参加してね!
詳細はまもなく告知されると思います<(_ _)>