時浦兼(トッキー)

愛子さまを侮辱する西田昌司に、怒りは沸点!!

時浦兼(トッキー)

2026年3月16日 11:01

国賊国会議員・西田昌司に対して、ゴー宣読者や公論サポーターの怒りは沸点に達しています!!


 私は西田昌司の事務所を訪問したことがあります。対応したのは秘書(おそらく50代♂)でしたが、もし私の訪問時に西田本人が居て動画のような持論をくっちゃべりやがったら、殺意が沸点に達したでしょうね。

 西田は旧11宮家の元皇族51名が臣籍降下した理由をGHQによる財産税課税のみにしたがっていますが、まず「皇族の降下に関する施行準則」(大正9年)というものがあり、臣籍降下が既定路線だったという都合の悪い事実を見ない振りしています。そして経済問題に矮小化することで西田・藤井ら望みを懸ける「人口増なき積極財政(by高市早苗)」を正当化したい意図も見え隠れします。

 最も許し難いのは、愛子様への侮辱です。要するに西田が言いたいのは「悠仁様がいらっしゃるやんけ」「万一のために旧宮家の男系子孫を皇室に入れる典範改正をするんやないか」「愛子?アレはアカン、パンピーと結婚したら子供は男の血ィ引いてへんやん」ってことだろうが!!このドブカスが!!(取り乱しましたw)

 綏靖(2)から開化(9)までの「欠史八代」は血縁関係が疑わしく、それ以前に実在性すら疑わしく、実在性が出てくるのは崇神(10)から、そして血統が重視され始めたのは継体(26)~欽明(29)の頃です。また、母から息子への女系継承は斉明(37)から天智(38)、母から娘への女系継承は元明(43)から元正(44)という前例があります。ちなみに斉明帝(37)は、皇極帝(35)として即位(践祚)してから一旦退位し、二度目の即位(重祚)をした時に友好国の百済を救うために対外戦争(白村江)を戦った女傑帝です。あと一つの重祚が孝謙帝(46)と称徳(48)の例ですが、どっちも女帝です。西田氏は全く歴史を知らない御仁ですね。

 ついでに言えば、アナタが弟子だと僭称する故西部邁は「女系公認論者」でした。かの男系(産経)新聞にて「女系女子にも皇位認めよ」という一節を含むコラム「正論」を載せていました。
 アナタ、もう二度と西部の弟子だと名乗らないでもらえますか?


よしりん先生によれば、西田は一度双系派に転向したはずだったのに、結局日本会議などの「世間」にからめとられて堕落してしまったそうです。

だとすると、西田も典型的な「アイヒマン」で、世間に流されて自分が巨悪を為しているということを見たくもないのでしょう。
たとえ後にその巨悪を追究されて法廷に立たされたとしても、まるで他人事のような表情を晒すだけなのでしょう。
男系派は、こんな奴ばっかりです。
こんな奴が愛子さまを侮辱し、皇統を限りなく滅亡に近い方向へ追い込もうとしているということに対する怒りは、もう止まりません!!