高森明勅

テロ未遂者?の「自由」論(上)

高森明勅

2015年 1月 14日
フランスで風刺週刊紙本社が銃撃される事件があり、
多数の死者が出た。

この事件そのものについては、正確な判断を下せるだけの情報を、
私は持っていない。

ただ、この事件に絡んで、小林よしのりさんが
「『言論の自由』
は絶対ではない」と主張されているのは、
“危険な意見”だが、
傾聴に値する。

言論・表現の自由は無論、大切。

だから極力、尊重されるべきだ。

しかし、絶対かつ無条件ーということではあるまい。

例えば、社会の多数者、強者が、少数者、弱者を
繰り返し侮辱するような言論・
表現が罷り通るような事態は到底、
そのまま許容する訳にはいかないはず。

私自身、汗顔の至りながら、微力なりに言論・表現の自由に
「挑戦」した“
不届き”な過去がある。

遥か昔、学生時代のこと。

ある娯楽時代映画の中に、京都御所で孝明天皇が刺殺され、
鮮血が襖に飛び散る場面があった
(もとより、そんな史実はない)

これはやり過ぎ!と憤激した私は早速、友人1人、後輩1人に
呼び掛け、たった3人で抗議を開始。

先方に学生証を提示した上で(可愛いね)、
本社や撮影所に乗り込んだ。

担当のプロデューサー
任侠映画を数多く手掛け、ヤクザとの繋がりも噂されていた)、
監督、撮影所長(後に社長)らに会って、こちらの意見を述べた。

この時、他の2人には伝えていなかったが、
私は実はかなり悲壮な覚悟を固めていた。

(続く)