高森明勅

保守系知識人の「安倍談話」への見方

高森明勅

2015年 10月 9日

遅蒔きながら、安倍談話に対する保守系知識人の発言を、いくつか。

新しい歴史教科書をつくる会の会長だった西尾幹二氏。

「安倍談話は、せっかく世界史全体を見据えて、
冒頭で19世紀からの西欧植民地支配の歴史に言及されていたのに
第2段落で、視野は一遍に日本一国の話になり、しかも経済の問題が
全てだというような語り方になってしまう。

日本が世界の秩序への無法な『挑戦者』として扱われ、
あれよあれよという間に東京裁判に屈服するような内容になり、
まことに残念でなりません」

安倍談話へ向けた懇談会のメンバーだった中西輝政氏。

政治評論を仕事にしている立場から見ると、あの談話は大変巧妙な
構成になっていて、政治的文書として賞賛措く能わざるほど
『素晴らしいでき』だと評価できます。

ところが、歴史学者として見ると、余りにも多くの問題を含んでいて、
村山談話を歴史理念として超えるものではなかったと言わざるを
ません。

…安倍政権を支持する保守派の人たちは、談話を賞賛する人が多い
けれど、そう単純でもない」

歴史学者の伊藤隆氏。

「基本的に東京裁判史観だと思います。
保守系全体の高い評価に驚き、もう一度読み返したが、やはり
『歴史解釈が東京裁判史観と同じだ』と確信しました。

安倍談話を手放しで評価するということはできません」

故・司馬遼太郎氏の歴史の見方は「司馬史観」と呼ばれ、
近頃は保守系からの評価は芳しくない。

だが、安倍談話の骨格はまさに司馬史観そのもの。

明治は立派。

昭和前期は駄目駄目、と。

これなら東京裁判史観(=連合国史観)とも矛盾しないし、
村山談話とも対立しない。

実に「巧妙」。

それを、保守系の多くの人たちが口を揃えて絶賛した。

東京裁判史観こそ、
憲法9条を固定化してきたイデオロギー
そのものだから、
不思議な気がする。