高森明勅

妄想の国民投票(2)

高森明勅

2016年 7月 8日

国民投票という直接民主主義は“劇薬”にもなり得る。

イギリスのEU離脱を巡る国民投票の前後の様子を見て、
そんな感想を持った人も少なくないだろう。

他人事ではない。

わが国でもやがて憲法改正についての国民投票が行われる。

それを、
やっと些かリアリティーを持って想像できるようになった
のかも知
れない。

護憲派か改憲派の政治家が、誰か殺されたりするのか、どうか。

投票率はどの程度になるのか。

結果が判明した後にどんな反応が起こるのか。

国内は勿論、海外でどう報道され、各国の反応はどうなるのか。

憲法学者の中には、世界各国の憲法改正の実例を調べて、
そこから日本の改憲論議に結び付ける論法を取る例があるようだ
自民党もそれに乗っかっている)。

しかし、わが国での憲法改正は、諸外国の一般的な例とはかなり違う。

と言うより、日本での改憲の「焦点」
は各国一般の改正と本質的に
異ならなければ、
そもそも意味がない。

但し、敗戦国で占領下に“基本法”を制定したドイツは、やや共通性が
ある。

しかし西ドイツの場合、東西対立の最前線でNATO加盟が決まり、
再軍備が必要になって、「軍隊」設置の改正を行っている
1954年)

謂わば「戦後レジーム」に“適合”する為の改正だった。

これに対し、わが国で問われるのは、「戦後」
的な国家像そのもの
の“再”選択だ。

簡単に言えば、次の二者択一。

被占領の延長としての「対米依存‐従属」構造(戦後レジームの一環
としての“敗戦国”体制)
にいつまでもしがみつくのか、そこから離れて
「一人前」
の国家として、自立・対等の友好的な日米関係を築こう
とするのか。

この点を誤魔化してはならない。

そこを誤魔化して、ただ投票結果を有利にする戦略・戦術のみに
傾くと、
必ずや悔いを千載に遺す結果となろう。