高森明勅

大統領制という災厄

高森明勅

2016年 11月 15日

天皇・皇室の存在を否定するというのは、具体的に何を意味するか。

わが国が共和制に移るということ。

恐らく「大統領」制を採用することになろう。

だが歴史も国民性も異なる他国はともかく、
それが日本にマッチするのかどうか。

漠然と、国のトップは世襲の君主より、
自分たちが選挙で決めた大統領の方が断然、良いはずだと
考えている人がいるかも知れない。

でも建国以来、大統領制を採用し続けて来たアメリカでさえ、
今回の選挙後の様子などを見ると、それがかなりリスキーな制度と
分かる。

元々あったアメリカ社会の分断を、選挙“そのもの”が一層、
悪化させてしまった。

あるいは韓国の朴大統領を取り巻く状況。

国家元首らしい威厳や権威は欠片(かけら)もない。

かの国では、歴代の大統領が必ずこうした、惨めな窮状に陥っている。

そうした事例を眺めると、大統領制も手放しでは讚美出来ない。

むしろ、わが国に皇室があって良かった改めてと感じる人も、
少なくないだろう。

そもそも、選挙に“勝って”その地位を得た指導者は、
国内の半分ないし4分の3位の“敵”
を抱え込むのを、
「構造的」に殆ど避けられない。

わが皇室の場合、否定的な人々は長年にわた
って、
1割ないしその半分にも満たない。

少なくともわが国において、
国民統合の中心としてどちらが
望ましいか、
改めて述べるまでもあるまい。