高森明勅

『表現者』天皇特集

高森明勅

2016年 10月 25日

先日、『表現者』69号が届いた。
「象徴天皇と日本の行方」
という特集。

特集冒頭の「天皇とはいかなる存在なのか」という座談会に参加した。

そのヒトコマ。

京都大学准教授、柴山桂太氏
「例えば旧宮家のお子さまが天皇になられるとした、
どのくらい天皇の本流と離れているんですか?」

高森「これは20世以上、離れていますね」

柴山氏「それだけ離れているところに移れば、もはや革命ですね
(笑)」

これが常識的な感覚だろう。

なお記事中、私が大嘗祭の説明している箇所で、
何故か「悠紀(ゆき)の国」「
主基(すき)の国」の順番が
逆になっている。

校正時の見落としだ。

汗顔の至り。

同誌でジャーナリストの東谷暁氏がこんなことを書いている。

井上毅(こわし)的にいえば、私的な性格をもたない公的で
あるはずのシンボル天皇が、『
一個人』として健康を理由に、
法理上あるはずのない『ご意向』
を表明する。
そして、
それに対して大衆がヒューマニズムから雪崩(なだれ)
をうって賛同する。
…しかし、
こうした大衆の歓呼による政治のなかでは、
シンボルは人気の指標であるスター同様の還元的記号へとやせ細り
期待されてきた歴史と伝統の統合力の多くを喪
失する。
それは確かに『大衆天皇』の完成に他ならないが、
そのいっぽうで
象徴天皇制は未曾有の危機を迎えることになる」
と。

驚くべき“誤読”と曲解の累積だ。

その前提となっているのが、庶民の素直な皇室への敬愛を、
大衆的ヒューマニズムと蔑む、根拠なき“上から目線”。

更に、天皇という存在に一切の主体性、能動性を認めるようとしない
戦後憲法学」的思考だ(法理上あるはずのない「ご意向」!?)。

同氏は経済問題などでは鋭い発言をされているだけに残念。