高森明勅

ある政治学者の支離滅裂

高森明勅

2018年 1月 8日

政治学者で一橋大学名誉教授の渡辺治氏。

護憲派の牙城「9条の会」の事務局を担当しているらしい。

共産党の議長だった不破哲三氏との共著もある。

インタビュー記事を見ると、言っている事が支離滅裂。

天皇自身の意思による慰霊の旅、
被災地訪問なども加わり、
公的行為が際限なく肥大化した。
憲法の想定していなかった天皇像が膨らんだ」
→憲法は天皇を「
日本国民統合の象徴」と規定している。
ただ“存在”
しているだけでは、動態概念としての
「国民統合」
の象徴の役割は果たせない。

公的行為は憲法が要請し、
それに天皇ご自身がお応えになったもの。

私は公的行為は違憲だと考えるが、
仮に認める場合は…
公的行為の限界を定めた法律を整備したうえで、
内閣による統制に加えて国会での議論を義務づけ、
少数会派も含めて合意した場合のみ認めるような
仕組みを作るべき
だ」
→同氏の見解では公的行為は「違憲」。
なのに、「
仮に認める場合は…」として、
その“ルール”
についてあれこれ提案している。
違憲なら、「仮に」でも「
認める」訳にはいかないはずだ。
自分の議論の可笑しさに気付かないのか。
しかも、
ルールの中身は事実上、共産党のような
「少数会派
」の一存で、天皇の公的行為の可否を左右し、
それを“政治利用”
できるシロモノ。
論外だ。

「天皇制は、民主主義や自由と人権といった
憲法の基本原理と根本的に相いれな
い。
…女性天皇や女系天皇を認めるべきではないのか」
→「
天皇制」そのものを「憲法の基本原理(!)
と根本的に(!)
相いれない」と断定しておきながら、
その舌の根の乾かぬうちに、
「天皇制」を支える
「女性天皇や女系天皇」を「認めるべき(!)

と主張している。

これも無茶苦茶。

思考が硬直化すると、右派も左派も、
こうした自家撞着に全く気付かなくなるものらしい。

自ら戒めたい。