小林よしのり

人を評価する基準「何を成してきた人か?」

小林よしのり

日々の出来事
2018年 1月 7日


わしが人を批判するときは、あくまでも現時点での評価だ。

わしが批判したウーマン村本も、三浦瑠麗も、室井佑月も、

まだ成長するだろうし、考えも変わるだろう。

1ミリも変わらぬ脳みそになったら、老人になったという

ことだ。

 

三浦瑠麗はもっとリベラルになれば、即わしは評価するし、

室井佑月はもっとナショナリズム(国民主義)を客観的に

理解して欲しいと思う。

客観的に理解しないとネトウヨになる。

 

人の考えは変わる。

わしは男尊女卑だったが、それでは国家が滅ぶと見えて、

考えを変えた。

今では女性の地位をもっと引き上げねばならないと思っている。

 

わしの考えが変わらないのは、アメリカは侵略戦争をする

という見方である。

小学生でベトナム戦争を侵略戦争だと批判して以来、

この考えは変わらなかったが、イラク戦争でとうとう確信

してしまった。

 

人の評価は死んでからしか確定できない。

いや、時代が変われば、さらに故人の評価が変わり続ける

場合だってある。だから坂本龍馬が歴史教科書から消え

ようとしているのだろう。

人間の評価はあくまでも現時点の評価である。

 

人間を評価するときに、キャリアは大事だろう。

「何を成してきた人物か?」という視点だ。

ビートたけし・松本人志・爆笑問題は、社会批評の質

はぬきにしても、「成してきた業績」は大きいと思う。

ウーマン村本は、いっぺんくらいお笑いでてっぺんとった

方がいいと思う。社会批評はそのあとでいい。

 

わしがそれなりに影響力があるのは、何を成してきたか

を知る人々が多いからだろう。

『東大一直線』は100万部以上売れたし、

『おぼっちゃまくん』はアニメで数年間、18%以上の

視聴率を取ったし、

『ゴーマニズム宣言』シリーズは2000万部は売れている

だろう。

 

有名無名を問わず、「何を成してきた人か?」が分から

ない者がえらそうに何かを言っていても、信用ならない。

言葉の表面だけなら何とでも言える。
匿名でえらそうに何か言う奴に至っては、もはや存在
しないも同然だ。
「何を成してきた人か?」と問えば終わってしまう。

 

わしが評価しない人物はリスクを負わない人物である。

国民の安寧を保障する国家を維持し、民主制を維持する

ためには、実はリスクを覚悟しなければならないのだが、

それが見えていない人物は子供である。

それが見えるようになって初めて大人になるのだ。