高森明勅

憲法9条と沖縄

高森明勅

2018年 3月 10日

護憲論者に問いたい。

沖縄を見捨てるのか、と。

憲法9条の「戦力不保持」規定と沖縄の軍事基地化は、
少なくとも同趣旨を憲法に盛り込む指示をしたマッカーサーに
とっ
ては、不可分の“セット”だった。

「日本の安全をどう守るか…マッカーサーは、
あるいは米国の軍部は、
日本占領以前にある腹案をもっていた。
それは沖縄の軍事基地化である。

…1945年12月に成立した『改正衆議院議員選挙法』では、
こともあろうに、
沖縄県民の選挙権は、―本土ではこの法律で
『女性参政権』
が付与されたにもかかわらず―停止されたのであった。

1946年4月の選挙は、改正された憲法(今の憲法=引用者)
の是非を決める選挙であったから、沖縄県民は、この憲法の是非を
争う選挙の埒外(らちがい)
に置かれたのであった。

つまり、マッカーサーにとって『戦争の放棄』
(正確には『戦力不保持』=引用者)とは、
沖縄に軍事要塞化を強い、本土にのみ適用される憲法で
戦争の放棄』を可能にした、と見ることができる。

一方で、沖縄の基地化こそ、本土における『平和と民主主義』
の限界を示すものであった」
(古関彰一氏『平和憲法の深層』)

実際に、沖縄の駐留米軍を縮
小、撤退させたいなら、
国際情勢の現実に鑑みて、
自主防衛の拡充を図るしかない。

しかし、それを阻害しているのが、他ならぬ9条の
「戦力不保持」規定だ。

護憲論者は沖縄にある米軍基地の固定化を訴えているに等しい。

もし憲法の「戦力不保持」を維持しながら、
米軍基地を撤去し得る可能性があるとすれば、
それは恐らくアメリカと中国との軍事的・政治的関係の中で、
アメリカが(何らかのメリットを得る見返りか、又はデメリット
を避ける為に)日本を中国の影響下に“
置き換える”判断をした場合
だろう。