高森明勅

大嘗祭を京都で?

高森明勅

皇室・皇統問題
2018年 11月 1日
今となっては誰もそんな話を蒸し返さないだろう。
 
時代が昭和から平成に移って間もない頃。
 
大嘗祭は京都で行われるべきだという意見があった。
 
理由は「それが伝統だから」と。
 
確かに大正、昭和の大嘗祭は京都で行われた。
だが、それは旧皇室典範に、
「即位ノ礼及(および)大嘗祭は京都ニ於(おい)テ行フ」(第11条)
という
明文の規定があったからだ。
 
この規定を尊重するなら大嘗祭だけでなく、
 
即位の礼も京都で行うべし、
と主張しないと首尾一貫しない。
 
しかし、明治典範“以前”の
明治天皇の大嘗祭は東京で行われている(明治4年)。
 
そもそも即位式も大嘗祭も、
共に「首都」で行うのが伝統的な在り方。
 
それらが、重大な皇位継承儀礼として
国家的な意義を担う以上、当然だ。
 
京都で長くそれらが行われていたのは、
単に京都が長く首都だったからに過ぎない。
 
だから、明治天皇が東京にお移りになった後、
旧典範に、両者を京都で行うと規定した事の方が、
率直に言って奇妙だった。
 
例えば、関東大震災直後の詔書(大正12年9月12日)
には「東京ハ帝国ノ首都」と明言されていた。
 
東京が首都ならば、大嘗祭は東京で行わなければ、
むしろ皇位継承儀礼としての意義を軽んじる結果になる。
 
大嘗祭=京都論が一部で唱えられていた当時、
私はそのように反論した記憶がある。
 
勿論、平成の大嘗祭は東京で行われ、
それに違和感を感じる国民は殆どいなかったし、
それこそ大嘗祭が本来の伝統を回復した姿だった。
 
今や、大嘗祭の京都での斉行を訴える声は、
殆ど聞こえない。
 
昔、天皇・皇后両陛下のご成婚に反対して、
「将来、平民出身の皇后が現れたら国体が破壊される」
と叫んでいた声が、いつの間にか全く聞こえなくなった
のと同じように。
 
しかし、旧典範(及びそれに附属した旧登極令など)
を金科玉条のように扱って、見当外れの「伝統(?)」
を振り回すやり方は、今も形を変えて生き延びている。