高森明勅

天皇と摂政・関白

高森明勅

皇室・皇統問題
2018年 8月 21日
平安中期に、藤原氏が摂政・関白などに任命され、
その下で行われた政治形態を「摂関政治」という。
 
摂関政治を巡る近年の研究成果を踏まえて、
以下のような指摘がなされている。
 
「摂政が天皇の大権の一部を代行し、
関白・内覧(ないらん=関白に準じる職掌・地位)
が天皇の政務を補佐したが、天皇に代わりうる存在ではなく、
あくまでも天皇制を補完する存在であった。
 
…先例重視の時代であったので、
摂政が判断裁量できる範囲は限られていたし、
…公卿(くぎょう)会議を通す必要があったので
多数の非難を受けるような決定はしがたく、
摂政といえども自由勝手に権力を行使できたわけではなかった。
 
また、摂政はあくまでも天皇の大権の一部のみを代行したのであって、
神事祭祀・軍事外交など天皇本人しか行使できないものも少なくなかった。
 
成人した天皇を補佐した関白・内覧にあっては、
天皇の意向を無視することはできず、
協調的な政務運営が心懸けられたのである。
 
…摂関政治とは天皇制を支える政治システムであり
…(皇統の分裂を避けるべく、人数が限られた皇位継承
候補者の中で、幼帝や資質上、疑念のある天皇など)
誰が天皇であっても政務に支障が生じないよう、
天皇の政務を補佐・代行するシステムとして摂政・関白・内覧
という職掌が創出されたと考えられる。
 
摂関政治という政治システムにより、
天皇制は安定的に機能することが可能になったのである。
 
…この後、家族制度や社会構造の変化に応じて、
院政、幕府政治、内閣制度など政治形態は変化してゆくが、
天皇制を補完する政治制度であったことには変わりなく、
ミウチないし臣下(しんか)が政務を代行・補佐するという
天皇制を補完するシステムの祖型は摂関政治にあったのである」
(榎本淳一氏「摂関政治の実像」平成30年)