高森明勅

昭和「斎田点定の儀」秘話

高森明勅

皇室・皇統問題
2019年 5月 13日

5月13日、大嘗祭に向けた「斎田点定の儀」。
前例では、平成2年2月8日に宮中三殿の神殿前庭に「斎舎(さいしゃ)」を設け、
卜者(うらないじゃ)役・灼手(やきて)役・合図(あいず)役の3人の掌典
(しょうてん)がその斎舎に入り、幔(とばり)を垂れて
「亀卜(きぼく)のことが古例により」行われた(鎌田純一氏『平成大礼要話』)。
その中身は?

江戸時代の実例は『鈴鹿家(すずかけ)文書(もんじょ)』によって、
やや詳しく知る事が出来る。

比較的近い昭和の大嘗祭については、
実際に祭祀に奉仕された川出清彦氏の興味深い証言がある。

「陛下(昭和天皇)の御手もとには、まず、その候補地として悠紀地方にて三県、
主基地方三県が進められる。そうすると陛下は、その内の二県に御加点(御爪〔おつめ〕
の印〔しるし〕)される。
この御加点二県の名を密封した封書を卜串(うらないぐし)という。
この卜串が卜者に渡される…そして亀卜を行なった上、卜合、卜不合は
卜串の包みの表面に書して…(天皇の)御手元に返上する。
ゆえに卜者はその内容、つまりどの県が卜合であったか否かは、
全然わからないのである。
したがって、これは卜者の決定ではない。
その決定は神と陛下、否(いな)、陛下の御決定に神も加わらせ給(たま)
うと見るべきものであろう」(『祭祀概説』)と。

直接、亀卜に携わる卜者には結果が分からない―というのは面白い。
ちなみに、昭和の大嘗祭では悠紀(ゆき)の地方が滋賀県、主基(すき)
の地方は福岡県という結果だった。