小林よしのり

「令和」に浮かんだ疑問

小林よしのり

日々の出来事
2019年 4月 1日

イチャモンつけるつもりはないが、「令和」という文字を
見たとき、ちょっとした疑問が浮かんだので、勉強した。

万葉集の「初春月、気淑風の一節は、支那の詩文集
「文選」の「仲春月、時気清」と同じであり、安倍首相
は国書から採ってきたつもりでも、実は漢書の由来でしたと
いうことになる。
平安時代の基礎教養が「文選」だったのだから仕方がない。

万葉集の和歌は「万葉仮名」であり、漢字は当て字で意味は
ない。
和歌の序文が漢文で書かれており、万葉集の「梅花の歌」の
序文は、支那の詩文集「文選」に収録されている詩の一部と
いうわけだ。

そもそも漢字が漢族の文字なのだから、本当に日本に拘る
なら、元号をひらがなにしなければならない。

さらに言うなら「令」は王冠の下に人が跪いている図だから、
やっぱり君主か支配者の命令の意味である。
君主の命令だから、清らかで美しいという観念に結び付く
のだろう。
「令和」を見て、なんとなく冷たい感じがするのはやむを
得ないのだ。

けれどもわしは元号が好きである。
時代の記憶を封じ込めて区切りを付けられる。
西暦じゃだらだら時が過ぎるばかりで終末まで区切りが
来ない。
キリストの支配する時間枠に慣らされる必要もなか
ろう。
国書からの選出ではないが、「令和」を受容しよう。