高森明勅

即位礼・大嘗祭が「引き続き」行われた理由

高森明勅

皇室・皇統問題
2019年 9月 19日

旧「登極令(とうきょくれい)」(明治42年公布)には次のような規定があった。
即位礼が終わった後に「続(つづき)て」大嘗祭を行うべし、と(第4条)。
その為、同令に基づいた大正・昭和の即位礼と大嘗祭の間は僅か3日間しかなかった。
まさに前代未聞。
このような規定が加えられた理由は何か。

明治の皇室典範に、事実上の首都たる東京から遠く離れた「京都」で、
それらを行うべき事が定めていた(第11条)からに他ならない。
登極令を審議・可決した明治42年1月27日の枢密院本会議で、
審査委員だった奥野義人が、その主旨を以下のように説明していた。

「其(そ)の所以(ゆえん)は、即位の礼を大嘗祭と別別に行ふこととすれば、
期年ならずして一再(いっさい)車駕(しゃが、行幸で天皇がお乗りになる車、
転じて天皇陛下)を京都に労させ玉はざるべからず。
又(また)用度(ようど、必要な経費)のことも考慮せざるべからず。
故に之(これ)を同時に行ふこととせり」と
(所功氏『近代大礼関係の基本史料集成』)。

要するに、即位礼と大嘗祭を京都で行うのを前提とすれば、
2つの行事を期間を空けて別々に行うと、天皇に繰り返しお出まし戴くご負担を
お掛けする結果になる。
更に、政府関係者その他多数が2度も往復するので費用も嵩(かさ)む。
だから、京都への往復が1度で済むように、2つの行事を引き続いて行う事にした、
というのだ。
極めて便宜的、世俗的な理由と言うべきだろう。
こんな理由なら、即位礼・大嘗祭を「東京」で行う場合には、
何ら顧慮する必要が無いのは明らかだ。

【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/