高森明勅

何故わざわざ「大嘗宮」を建てるのか?

高森明勅

皇室・皇統問題
2019年 7月 28日

7月26日、皇居・東御苑(ひがしぎょえん)で
大嘗宮(だいじょうきゅう)地鎮祭が執り行われた。
いよいよ11月に行われる大嘗祭(だいじょうさい)に向けて、
その斎場となる大嘗宮の建設に取り掛かる。
では、そもそも何故、一定の経費を投じてまで、
大嘗宮をわざわざ建てる必要があるのか?

毎年の新嘗祭(にいなめさい)の場合、
神嘉殿(しんかでん)と呼ばれる常設の建物で行われる。
それで特に支障がないのであれば、
大嘗祭も同じ神嘉殿で行えば良いのではないか?

そのような疑問は、現代の日本人にとって必ずしも突飛ではないだろう。
しかし、神嘉殿で大嘗祭を行う訳にはいかない。
何故か?
答えは簡単。

大嘗祭で祭られる皇祖神を“より”丁重に「おもてなし」する為だ。
神道の考え方では、丁重に神をおもてなしする為には、
「清らかさ」が何より大切だ。
その場合、神を迎え、神にお供え物をする場所も、
当然ながら出来るだけ清らかでなければならない。
清らかである為には、その場所が使い回しされて“いない”、
これまで未使用(!)である事が、最も望ましい。
しかし、毎年行う新嘗祭の場合、毎回、
わざわざ未使用の斎場を設けるのは、
さすがに現実的に無理がある。
そこで、せめて天皇のご一代に一度限りの大嘗祭だけでも、
最も望ましい形、つまり未使用の新しい斎場=大嘗宮を設け、
そこで大嘗祭を、普段の新嘗祭よりも、更に一段と丁重かつ
厳粛に行うべきである、と考えられて来たのだ。
それは至極当然の考え方だろう。

そうであれば、大嘗宮に悠紀殿(ゆきでん)・主基殿(すきでん)という
2つの御殿を建てる理由も、自ずと明らかだ。
大嘗祭では2度、神にお供え物をする
(これは毎年の新嘗祭でも、伊勢の神宮の神嘗祭〔かんなめさい〕でも同じ。

それは、日本人の食生活が以前は1日に2食だった事の反映だろう)。
その為、神を丁重におもてなしする為には、そのどちらの場合も、
同じように(使い回しされていない)真新しい“清らかな”場所で行う
必要があるからだ。

だから本当は、逆に
「新嘗祭は何故、新しい斎場を設けないのか?」
と問うべきなのかも知れない。

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