小林よしのり

「個」と「集」は、「公」に向かうべし①

小林よしのり

日々の出来事
2019年 5月 30日

「ゴー宣道場」は全国各地で有志が自分の地域に呼びたいと
思っているようで、とてもありがたい熱意だと思う。
このニヒリズム蔓延の世の中で、社会と繋がって公に資する
議論をしたいという情熱があるのだから、大した人たちだと
思う。
できるだけその熱意に応えたい。

けれど今、わしは首をひねる事態が発生していて、関西で
年2回開催を発表しても、その後のメーリスの反応を見て
いると、誰も喜んでいないのだ。

大阪で、カレーと聖母W氏を交えて数時間、話しあった
ことがある。
「なんで設営隊長を辞めたんだ?」と問うと、後進を育てる
ためだと言った。
ならば公共心からだから、やむを得ないと思った。

わしは関西での年2回開催をしもPに連絡したが、「関西
での2回の開催ご検討ありがとうございます!ちぇぶさんに
連絡を取り話し合わせていただきます」と返事が来た。
素直に喜んでくれていると思った。

ところがメーリス内では、関西方面は誰も喜んじゃいない。
ちぇぶと仲が悪いカレーを忖度しているのではないか?
だとしたら情けない。「個」が弱い。
カレーが喜ばなければ、自分たちも喜ばないと決めている
のではないか?
つまり、「個」が「集」に埋没しちゃってるのではないか?
わしの『脱正義論』を読んだことがないのか?

        (つづく)