高森明勅

皇室典範とサリカ法典

高森明勅

皇室・皇統問題
2019年 12月 26日

古代日本の基本法だった大宝律令・養老律令には、
唐の律令には無かった「女帝」の規定がわざわざ
追加されていた(「継嗣令」皇兄弟子条)。

歴史上の事実としても、よく知られているように10代8方の
「女帝(女性天皇)」が実在した(シナの場合は則天武后が
ただ1人の例外的な女帝だった)。

我が国に女性天皇を頑なに排除するという伝統は、
(シナとは異なり)元々存在しなかった。
にも拘らず、明治の皇室典範で“初めて”皇位継承の資格を
「男系男子」に限定する。
これは何故か。

その背景の1つに、やや意外に感じられるかも知れないが、
当時の“ヨーロッパ文明の摂取”という時代潮流があったと考えられる。
その頃には、ヨーロッパのフランク時代のゲルマン部族法『サリカ法典』
に由来する、王位継承資格を「男系男子」に限定する方式を採用して
いた国々があった(スウェーデン、ベルギー、イタリア、プロイセン等)。

明治の皇室典範の起草に関わった柳原前光の草案の欄外に、
「男系男子」限定の根拠として、そうした国々の国名が記されていた。
ヨーロッパ各国からの影響は明らかだ。
勿論、現代のヨーロッパでは継承資格を「男系男子」に限定している
君主国は無い(唯一の例外は人口が僅か3万人程のリヒテンシュタイン公国)。

今も「男子」優先を維持しているイギリスやデンマークでも、
女王が即位されているのは周知の通り。
明治日本が手本にしたヨーロッパ各国は、時代の進展に対応して
すっかり様変わりした。
しかし我が国では、“側室不在=非嫡出継承の否認”へと前提条件が
激変しても、「男系男子」限定が現在の皇室典範にもそのまま
残っている。

旧時代のヨーロッパのやり方にいつまでも拘泥していないで、
自国の伝統を振り返るべき時期ではないか。
少なくとも、皇室の存続を犠牲にして迄、ゲルマン部族法の
サリカ法典に忠誠を尽くす理由は、どこにも無いはずだ。

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