高森明勅

大和路の歴史をしのび

高森明勅

皇室・皇統問題
2020年 9月 28日

これまで、昭和天皇の御製(ぎょせい)の中から、
「君主」としてのご自覚を明瞭に窺うことができるものを、紹介してきた。
どうしても欠かせない1首に、昭和60年の新年歌会始で
ご発表になった御作がある(お題は「旅」)。

遠つおや(祖)の
しろしめしたる
大和路の
歴史をしのび
けふ(今日)も旅ゆく

昭和天皇は昭和54年から同59年にかけて、
短期間に3回も奈良県を訪れられた。

昭和54年には正倉院・高松塚古墳・法隆寺などをご視察。
同56年には全国植樹祭、同59年には国民体育大会への
お出ましだった。

その際、昭和54年に聖武(しょうむ)天皇・光明(こうみょう)皇后、
同56年には神武(じんむ)天皇の御陵(ごりょう)に、
それぞれ親しく拝礼をされていた。

ここに掲げた御製は、勿論、その時の実際の「旅」
を踏まえておられる。
しかし、この和歌の“眼目”と言うべき「しろしめしたる」
という語に注目すると、それを超えたご感慨を感じさせる。

「し(治)ろしめ(召)す」は「し(治)る」の尊敬語。
“支配”を意味する古語の「うしはく」という語と対比すべき言葉だ。
“うしはく”が「大人(うし)佩(は)く=主(あるじ)
として身につける」つまり「私的」「個別的」な
支配を意味するのに対し、天皇による国内統合が持つ「公的」
「普遍的」な(公平無私であるべき)性格に配慮して、
敢えてこの古語を用いられたと拝し得る。

昭和天皇は、初代の神武天皇以来の「大和」に都を定められた
歴代天皇の「しろしめしたる」歴史を遠く回顧されると共に、
今もその精神を受け継ぎ、日々“しろしめされる”務めに力を
尽くすべきご自身の責任を、改めて銘記された。

「けふも旅ゆく」という結びの句には、
そのような“君主”としてのご決意を、読み取ることができる。

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