高森明勅

話術

高森明勅

日々の出来事
2020年 7月 19日

私の喋り方は一応、人並みの水準に達しているだろうか。
もしそうだと仮定するなら、それは何故可能になったか?
少なくとも2つの理由が頭に浮かぶ。

1つは、小学生の高学年になるまで、極端な引っ込み思案だったこと。

いつもクラスの隅っこで、同級生達が楽しげに会話に花を咲かせているのを、
羨ましく眺めていた。

その間、幼いなりに孤独な思考に沈潜する一方、「人と喋りたい」
という気持ちが、どんどん内面に蓄積していた。

もう1つは、私の興味・関心の在り方が、比較的早くから、
周囲の仲間達と余りにもかけ離れていたこと。

例えば、中学2年生の時(昭和45年=西暦1970年)、
リアルタイムで起こった三島由紀夫の事件を全校生徒
(だけでなく恐らく教師も含めて)
の中で、たった1人だけ肯定(!)した。

興味の対象も、知識の身に付け方も、考える方向性も、殆ど孤立していた。
なのに、孤独を嫌って、少しでも共感を求めた。
その為、自ずと自分の喋り方に僅かでも気を配るようになった。
…という事情がある。


その後、歳月を経て、喋り方が救いようもないほど下手くそというレベルよりは、
もう少しだけはまともになっているのではあるまいか。

勝手な思い込みかも知れないが。

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