高森明勅

天皇誕生日を控えて

高森明勅

皇室・皇統問題
2021年 2月 8日

2月23日は“国民の祝日”の1つ、「天皇誕生日」。
今年はどうなるか。
産経新聞(2月6日付)に以下のような記事。

「宮内庁は…新型コロナウイルスの感染収束が見通せないことから、
23日の天皇誕生日に宮殿で行われる予定だった祝賀行事のうち、
今年は『宴会の儀』と『茶会の儀』の実施を見送ると発表した。
『宴会の儀』は、陛下が皇后さまとともに三権の長らを招いて
催される祝宴。
『茶会の儀』は、天皇、皇后両陛下が立ったまま各国の駐日大使らと
懇談し、祝賀を受けられる儀式。
陛下が三権の長からお祝いの挨拶を受けられる『祝賀の儀』は、
茶会の儀に招待予定だった駐日大使らの代表1人を加えた上で、
昨年と同様に実施する。

…宮内庁はすでに一般参賀の見送りを発表している。
昨年…祝賀行事は(一般参賀を除き)予定通り実施されていた。
宮内庁の池田憲治次長は(2月)1日の定例会見で、
『感染拡大で現在、多くの国民が困難に直面している中で、
最小限にすべきと考えた』と説明した」と。

天皇誕生日の「祝賀の儀」は新年の場合と違って、
国事行為とはされていない。
しかし、天皇という地位が“国家秩序の頂点”に位置する事実を
端的に示す点では、勿論(もちろん)共通している。
昨年に引き続き一般参賀が無いのは残念ながら
(こちらは“国民結合の中心”であることを示す)、
私は正月と同様、個人的に祝意を表す為に皇居に参上しようか。

なお当日、午前9時から宮中三殿にて「天長祭(てんちょうさい)」
(小祭)が執り行われる(これは、“皇祖の系統と精神の正しい
継承者”としてのお立場に基づく)。

天皇のお誕生日を「天長節(せつ)」と称してお祝いの行事が
行われた史料上の初見は、『続日本紀(しょくにほんぎ)』に
載っている、第49代・光仁(こうにん)天皇の宝亀(ほうき)6年
(775年)10月13日(旧暦)の記事とされる。

「天長」という語の出典は、シナ文献の『老子』(第7章)
に見える「天長地久」。
天皇のご健康とお栄えが、天地と共に長く久しく続かれることを願って、
この言葉が採用された。

明治以降の祝祭日(祝日と祭日)のでも、天皇のお誕生日は「天長節」
と呼ばれる祝日だった。
今の「天皇誕生日」という名称に変わったのは、
被占領下の昭和23年7月に祝日法(国民の祝日に関する法律)が施行されてから。

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