高森明勅

政界の暴れん坊だった亀井静香氏の「政治家」観察レポート②

高森明勅

政治・経済
2022年 5月 18日

引き続き亀井静香氏『永田町動物園』より。

「橋本聖子の義兄・高橋辰夫は、
俺の政治家人生のなかでも特に印象に残る、豪傑だった。…
容貌魁偉だが、知的な匂いは一切しない、そんな男だった。
(銀行法改正の)法案を通すには、自民党の金融問題調査会を
通らないといけないため、大蔵省(当時)の銀行局長が
俺に説明に来た。
…そのうち、向こうのペースで話がどんどん前に進んだが、
突然、高橋が面白いことを言い出した。

『お前たちな、この銀行法と、子供銀行と、
血液銀行の違いを詳細に教えてくれ』。
意味不明で、とんでもない話だ。
銀行局長は唖然として言葉は失った。

すると高橋は、ここぞとばかりに声を荒げて、
『ダメだ。審議はしない。拒否だ』と言った。
さしもの大蔵省銀行局もお手上げになった。
『修正に応じます』と言うから、結局、全銀協(全国銀行協会連合会)
と修正協議することになり、見事に修正させた。

…高橋は、頭の回転はよくなかったが、だからこそ、
大蔵省の銀行局というエリート官僚を相手にしても、
アサッテなことを言って困惑させられたのだ」

「(梶山静六氏が)政治の師と仰ぐ田中角栄が
ロッキード事件に巻き込まれたときのこと。
俺がまだ警察官僚だった’76年7月、角栄さんは逮捕された。
その3週間後、保釈される角栄さんを、梶山さんは真っ先に
迎えに行った。

『ヤクザだって親分が出所するときは迎えに行く』と言ったのだ。
だが、その年の12月には自身の総選挙も控えていた。
国民から非難されていた田中角栄を迎えに行けば、
選挙に影響することがわかっていたはずだ。
しかし、梶山さんの頭には、保身という考えはなかったのだ」

「参議院自民党を束ね、ドンと呼ばれていた当時の村上(正邦)さんは、
なぜそんなに力を持っていたのか。
それは毎晩、昨日は赤坂、今日は神楽坂、明日は向島…と、
あちこちの議員に飲ませ食わせして、面倒をみていたからだ。
自分は全然飲めないのだが。
そして選挙となれば物心両面で面倒をみる」
(続く)

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