大須賀淳

高市早苗、男を尊び女を卑しむ

大須賀淳

2026年2月27日 19:43

高市早苗という人は、言葉の扱いがとにかく雑。

 

過去に8人の男系の女性天皇がいたことは歴史的事実だから、過去の女性天皇を否定してしまうことは不敬に当たる(2026.2.27 衆院予算委員会)

 

これは、「不敬」という言葉を用いて「自身は尊皇の者である」というポーズをとり、予防線を張る意図での発言でしょう。

 

しかし、何せ「雑」なものだから、自分の発言によって、自身の中にある「本意」を露呈してしまうんです。

 

有識者会議の報告書でも男系男子に限ることが適切とされている。私としてもこの報告を尊重している(同)

 

ここでも「有識者会議の報告を尊重」と逃げを打っていますが、高市はサイトから消去した自らのコラムや、2006年1月27日の衆院予算委員会でも、初代天皇(神武天皇)のY染色体という、今や強固に男系男子絶対を唱える論者でも否定する者の多いオカルトも根拠に挙げながら主張する、原理主義的な男系男子固執論者です。

 

自身の信条を肯定するために過去の女性天皇を利用しながら、現在から未来につながる皇位継承の中で男系〝男子〟に固執する。これは「女性天皇という存在は払拭すべき過去のもので、今後の皇位継承は男子に限定すべき」というイデオロギーの発露に他なりません。

 

この理屈は「今上天皇の女性のお子様よりも、先祖が皇族であった男子の方が皇位継承の資格を持つ尊い存在である」という歪んだ身分意識にも直結する最大級の不敬であり、同時に天皇陛下が象徴する日本の国民への著しい背信行為でもあります。

 

皇位継承に「男系男子」が初めて明文化されたのは、明治の皇室典範に於いてであり、(大正時代になって「神功天皇」から「神功皇后」に変更されたオキナガタラシヒメも含む)過去に多くの女性天皇が存在した日本の伝統から見れば、むしろ「男系男子固執こそイレギュラー」と言えます。

 

しかも、上の動画でも述べられている通り、伊藤博文が作成した皇室典範の草案の段階では認められていた女性天皇は、井上毅による強固な反対により排除されたという経緯があります。

 

そこにおいて井上毅が用いた理屈は

男を尊び女を卑しむの慣習、人民の脳髄を支配する我国に至っては、女帝を立て、皇婿を置くの不可なるは多弁を費すを要せざるべし

 

つまり、「日本の国民は男尊女卑に脳髄を支配されているから、女性を天皇にして婿を迎えるなんてとんでもない」という、強烈な男尊女卑と国民の卑下が同居した暴論です。

 

高市早苗は、令和8年の現在においても、「男を尊び女を卑しむ」に脳髄を支配された人物である事は間違いありません。そんな人物が、「初の女性首相」に寄せられる期待を利用して、国民の大半は眉を潜めるであろう強烈な男尊女卑に基づくイデオロギーを強行突破しようとしているのが現在の構図。

 

首相就任後の振る舞いだけをとっても、高市早苗という内的な「道徳観」が非常に希薄な人物である事がわかります(だから「教育勅語」や「国旗・国歌」という、〝カタチ〟ばかりをアクセサリーにして、その空虚を誤魔化そうとする)。

 

さて、冒頭でも挙げたように、高市早苗による「雑な言葉」は、持論の闇や破綻を余計に露呈してしまう事態を招いています。

 

皇位が女系で継承されたことは一度もない(同)

 

「母」である元明天皇から「娘」である元正天皇に「皇位」が継がれた事や、そもそも「記録が無い」欠史八代を始めとして、歴史学的なあらゆる観点から「男系による万世一系」は否定されています。これを「マニアックな論争」ではなく、「国民をあげての議論」とする時が、いよいよ訪れたと感じます。

 

国民と皇室の相思相愛による安定的な皇位継承」を軸とする限り、高市首相が強行突破しようとする信条は、全ての面においてそれに反した、皇室、そして日本の国柄を大きく損なうものに他なりません。

 

今回の総選挙で自民党に投票した人も、そこで全く強調されなかった(だけど、ずっと〝一貫〟されていた)高市首相の信条に対して本当に同意できるか、ぜひじっくり考えてください。