「茶滅の刃」ゲッラゲラ笑いながら読みました!
純粋にパロディとしての面白さに加え、こういう形になってみると、「鬼滅の刃」と「おぼっちゃまくん」という一見まったく色合いの違う2つの作品には、けっこう共通項があるな、という発見がありました。
まずは、キャラのネーミングの妙。
御坊茶魔
貧保耐三
袋小路金満
御嬢沙麻代
漫画キャラのネーミングにおいて「特徴・属性そのまんま」というのは定番の一つですが、小林よしのりという作家はそれが抜群に上手い!「東大通」なんかもそうですが、「まんまやんけ!」の中に、キャラの出自も含めたニュアンスをきっちり出すのって、実際にやろうとすると解りますが、実は凄まじくセンスが要求される手法です。
そして、「鬼滅の刃」の作者である吾峠呼世晴も、同じ種類の秀逸さを持った作家の一人です。
竈門炭治郎
煉獄杏寿郎
不死川実弥
鬼舞辻無惨
ラスボスの名前が「無惨」って…!、最初に読んだ時にはよくこんな名前考えつくなーと感心したものですが、定着してみるとこれ以外の名前はあり得ないというレベルでハマっています。
その観点で見ると、「おぼっちゃまくん」と「鬼滅の刃」のキャラ名には、けっこうな「互換性」があるんですよね。サムネにしたこれなんて、「お助け軍団」(「通掛聞造」「怖賀リータ」など秀逸ネーミングの宝庫!)にこういう人がいても、全く違和感無いですもの。

また、鬼滅のアニメで実際に使用された毛筆フォント(KSO闘龍)でおぼっちゃまくんのキャラ名を書いてみても、こちらも不思議なほど違和感なくハマります。

「そのまんまのキャラ名」のセンスは、「狂歌」(短歌形式で、日常の出来事や社会風刺をテーマに、洒落やパロディ、俗語などを交えて詠む、滑稽でユーモラスな和歌)に通じていると私は感じています。
マンガ表現の分析として、この方向性の追求はまだ岡田斗司夫もやっていないと思う(笑)。
そして、そうした手法的な部分のさらに奥に存在すると感じる両作品の「共通項」は、「異形の者のマイナーな情念を、大メジャーの舞台で極めてポップに表現している」という部分です。
「おぼっちゃまくん」も「鬼滅の刃」も、登場キャラの大半は「世間の標準」を逸脱した異形の者たちです。
異形の者を描こうとすると、多くの場合はいわゆる「ガロ」的な表現になりがち。格好良い言い方をすれば「コアな読者層」向け、忖度なしに言うと「マイナー」な表現です(笑)。
その「マイナーなモチーフ」を、大メジャーな舞台で大暴れさせられる作家は本当に希少であり、その中でも小林・吾峠呼の両者は「マイナー方向の闇」(怒られそう(笑))が際立って深いと感じています。
両者が同じ福岡出身というのが、同じく福岡出身の井上陽水の音楽に感化されて40年近く人生迷走中の私には何とも感慨深すぎるのですが(笑)、両者の最大の差異を挙げるとすれば「トータルの〝過剰さ〟」ですね。
吾峠氏は、初連載作品である「鬼滅の刃」完結後は現在の所ほぼ隠遁生活という感じですが、よしりん先生は…72歳にしてその真逆だというのは、わざわざここで説明する必要は無いですよね(笑)。
「鬼滅の刃」の映画最新版である「無限城編」は、インドでも公開5日間での興行収入が約7億9500万円に達するなど大ヒットしているそうです。同じインドで爆走中の「おぼっちゃまくん」、アニメの次シーズンで「茶滅の刃」が放映されたら、インドの子供たちが大喜びしそうだなあ(無責任に言っちゃえば、「小林よしのり漫画ブック」のヒンディー語版が配信されたら…)。
夢が広がりますねえ!