高森明勅

不純な動機で「日本男児」になろう

高森明勅

2011年 3月 1日

笹幸恵さんの近著『日本男児という生き方』(草思社)が送られてきた。

包みを開けて、オッと思った。

オビには、今まで見たことがない、和服でおしとやかに三つ指をつく笹さんの楚楚とした姿。

そのオビで、絵葉書大の紙が表紙カバーを覆う格好で挟んであり、その紙には、ガダルカナル島での勇ましく「男前」な笹さんの姿。

どちらも実に魅力的だ(なんて、シレッと言えるくらい私もオッサンになったということか。

但し、娘に聞かれたらコラコラと叱られそうだが)。

版元の戦略も侮れない。

本の造りそのものが、こんな魅力的な、女っぽくて男勝りな著者が、男どもに「男はいかにあるべきか」を語ってくれているんだ、これを逃す手はないとアピールする仕掛けになっている。

その仕掛けに嵌まって、一気に読了した。

全編これ「日本男児」たる者かくあるべし、という笹さんの当世のひ弱な男性諸氏への優しくも手厳しい叱咤のつるべ打ち。

もっとも全17章中、1章だけは女性への注文になっている。

だがそれも、もっと男を見る目を持て!といったメッセージと受け取れる。

ならばこれも、やや回り道した男性への要望と言えるかも。

本書で示される日本男児のお手本は、概ね死線を潜って来られた戦争体験者の方々。

だから、平和な時代にぬくぬく育った男どもが、どう逆立ちしても及びっこない。

私のような半「日本男児」にも達しない非「日本男児」には、耳の痛いことだらけ。

でも読後感は、不思議と爽快だ。

別にマゾッ気はないが、本書には、著者が現代の頼りなさそうな男性に、苛立ち、腹立ちつつも、期待と希望を最後まで捨てていない、明るさがあるからだ。

この本に書いてあることの十分の一でも実践出来たら、笹さんのような魅力的な女性の気持ちを、ほんのちょっぴりでも動かすことが出来るかもしれない。

そういう“不純”な動機から「日本男児」に変身する男たちが、これから現れるかもしれない。

そうなれば版元の戦略は十分、成功を収めたと言えるだろう。

ひとかどの男子たらんと志す奇特な男性は勿論、どうすれば女性にモテるかだけが気になっているより多くの男性も、更に女性への執着すら薄れた世に言う「草食系」男子も是非、読んで欲しい。

「草食ってる場合じゃねぇ!」ってことに気づくはずだ。