高森明勅

正直な「男系論」の結末

高森明勅

2011年 2月 1日

『国民新聞』という月刊の「新聞」がある。

その1、2月合併号の一面トップに

「皇位継承問題、小林よしのり氏の原理的誤謬」

と題する文章が掲載されている。

書いたのは田中卓郎氏という人物。

これは、「男系論」にしばしば見かける誤魔化しやすり替えを極力排した、正直誠実な議論という印象を受けた。

男系論が直面する3つの難問にも精一杯、真正面から答えようとしておられる。

(1)皇籍を取得してもいいという旧宮家子孫は実在するのか?

(2)旧宮家子孫の皇籍取得を国民が認めるのか?

(3)側室なしで男系継承が続くのか?

 だが、真面目に回答しようとすればどうなるか。

氏の答えは、次の通り。

(1)「私は具体的な事情を全く知らないので肯定も否定もできないが、原則論としては…運命的、道徳的義務として受けて頂く他はない」

(2)「情緒に訴える他はあるまいが、かかる啓蒙が奏功するか否かには確かに不安がある。
しかし信じて為すより他はあるまい」

 (3)「側室を認めることは道徳的見地から不可能であろう。

その代替策として考えられるのは、旧宮家の皇籍復帰に加えて…新たに宮家を

創設することしかあるまい」

簡単に必要最小限のコメントをしよう。

(1)「義務」として「受けて頂く他はない」と考えるのは、もちろん自由。

だが、それを実際に強制することは、不可能だ。

男系限定を主張しながら「具体的な事情を全く知らない」

というのも、無責任では(これは男系派の多くに共通する。知らないし、知る気もない)。

(2)は、不安だが信じてやるしかないとの信念を吐露されているのみだから、特にコメントの必要はあるまい。

(3)旧宮家子孫の皇籍取得自体も可能かどうか、肯定も否定もできないとしながら、それに「加えて」、一体どうやって男系限定でそれ以外に「新たに宮家を創設」できるのか。

こう見ると、この一文は正直誠実であるが故に、執筆者の意図とは裏腹に、男系限定がいかに不可能な選択肢であるかを、より際立たせてくれていると言ってよいだろう。

『国民新聞』がこれをトップ持って来たのは、大変興味深い。