かつて「女性がトップに立って権力をとれば、きっと社会は変わるはずだ」という、漠然とした未来の想像を抱いている人は大勢いた。私もなんとなく、そんなふ~んわりした想像はしていた。
そして、フェミニズムやリベラルは、「女性がトップに立つ、そのこと自体が前進である」「女性を批判するのはミソジニーだ」と語ってきた。
ところが、高市早苗の登場によって、その想像がいかに短絡的だったのかがはっきりわかってしまった。
「女性が権力を持つこと」そのものでは、社会は変わらないし、何も解決しないという現実が、見えたのだ。
高市早苗のやろうとしていることはこうだ。
◎「女は愛嬌」の外交でトランプ大統領に肩を抱かれ媚米の姿勢を演出する。
◎夫に尽くす様子をチラ見せして「献身的な妻」を政治家としてアピールする。
◎相撲の土俵にも上がらないと、「『伝統』をわきまえた女性」を強調する。
その一方で、
◎「男系の血統」「男尊女卑の序列」を絶対視する。
◎象徴的権威を男性側だけに残す。
◎そのためになら一般国民から養子までとって皇統を破壊する。
女性の顔・女性のイメージを振りまいて、中身は「男性優位の旧権力体制を延命する」というだけ。
「女性が権力を持った」という事実だけでは、フェミニズムやリベラルが思い描いたような未来には向かわない。
それどころか、女性という属性が、「男性優位の旧体制を正当化するための包み紙」として使われて、日本社会が後退してしまう。
ところが、「女性なのに女性首相を批判するな」「女性なら連帯するべきだ」と言う人々がいる。
「女性だったら女性首相を賛美するはずだろう」とひと絡げにする感覚そのものに、私は女をバカした視線を感じるし、「女性と権力」というテーマについて、あまりに短絡的な考えで済ませようとする堕落、知的不誠実があるとも思う。
男が言っても女が言っても男尊女卑、女なら卑下、自虐も入ってますます醜悪だ。
追伸:
ライジングは「見えない《人手不足》と《外国人排斥》の誤解」という原稿を書きました。
「人手不足」という単語を聞いてはいても、大企業からは「人員削減」のニュースが多いし、日々に追われて、その現象を自分の見ている世界とつなげて考えづらい人が割といるかもしれない。
なんでセルフレジやタブレット注文の店が増えたのか? なんで建設費が高いのか? なんでホテルが高いのか? なんで素泊まりプランの温泉旅館が増えたのか?
考えてみれば現実がもっとくっきり見えて、どう考えるべきか思考も動かしやすくなると思うので、ぜひ読んでください。
私は、日本が円安の世界にどっぷり浸かっていて、「日本は安いね」で訪れる外国人ばかり見ているのも、視線が偏る原因かもしれないとも思っています。