今日も、
『大東亜論 巨傑誕生篇』
に寄せられた感想を
ご紹介していきます!
まずは、「小林よしのりライジング」
のコメント欄から
あまり物語に入り込めていなかったのですが、
一気に読み切ってしまいました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
次は、「ゴー宣道場」の
門弟女性の感想を
2本ご紹介。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
忘れてはならないということです。
当たり前なんですが、テスト勉強のように
歴史を頭に入れていくだけだと、
ある事象の原因であるはずの人間の思想や行動が、
箇条書きのコメントで済まされてしまう。
テスト対策であれば仕方なし、
でも歴史から学ぶ、となったら暗記で済むはずがありません。
維新を経た日本のあるべき姿を実現せんと、
様々な視点から「思想を持った人物」が、
これでもか、という具合に現れてワクワクするのですが、
うっかりすると百年ちょっと前に実在した人物
という事を忘れて読んでしまいます。
そのくらい出来すぎたように魅力ある人物だからでしょう。
繰り返し出てきます。
そのエピソードのうねりが歴史の表舞台に表れてくる、
それが「歴史は人が作る」ことの根本になるなら、
人物を誤らずに見極めることは、歴史そのものを見極めること。
「いかに伝えるか」ということです。
暗殺する目的で対面を果たすエピソード、
論破されてヒョロヒョロと帰る杉山のコマのところで、
少し読むのを止めて考えてしまいました。
殺されるかもしれない状況で杉山と対面した伊藤と、
今の私は1歳しか違わないんです(私のが上!)。
いや、もちろん比べるのがおかしいんですが、
例えば今、成人式を迎えたばかりくらいの子を相手にして、
自分は伝えるべき事柄を、きちんと自分のものに
出来ているだろうか、と想像してしまったんです。
それは架空の相手を想像するより、自分の娘に
伝えることが出来るだろうか、と、
まさに自分自身のこととして考えさせられるエピソードでした。
こういう事が出来る大人が、現在どれだけ
いるだろうとおもってため息が出てしまいます。
そして、すでに自分がそんな事を求められて
しかるべき大人の年齢を重ねているのだと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
現代では女性の方が
明治の男たちの物語を
深く、感性豊かに
捉えられるのでしょうか!?
まだまだ感想
お待ちしております!!
