高森明勅

「12月8日」とは何か(2)

高森明勅

2013年 12月 7日

昭和16年12月8日の大東亜戦争の開戦を、
当時の日本人はどう迎えたのか。

それは、昭和20年8月15日の終戦時の場合以上に隠され、
忘れ去られているのではないか。

当時の日本人の声の断片を掲げる。


太宰治
「『大本営陸海軍部発表。
帝国陸海軍は今8日未明
西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れ
り』

しめ切つた雨戸のすきまから、
まつくらな私の部屋に光のさし込むやうに強くあざやかに聞こえた

2度朗々と繰り返した。

それを、ぢつと聞いてゐるうちに、私の人間は変わつてしまつた。

強い光線を受けて、からだが透明になるやうな感じ。

あるひは、聖霊の息吹きを受けて、
つめたい花びらをいちまい胸の中に宿したやうな気持ち。

日本も、けさから、ちがふ日本になつたのだ」
(小説「12月8日」より)


坂口安吾
「僕はラヂオのある床屋を探した。
やがて、
ニュースが有る筈である。
客は僕ひとり。
頬ひげをあたつてゐると、大詔捧読、
つづいて東條首相の謹話があつた。
言葉のいらない時が来た。
必要ならば、僕の命も捧げねばならぬ。
一兵たりとも、
敵をわが国土に入れてはならぬ」
(小説「真珠」より)

武者小路実篤
「12月8日は大した日だつた。

僕の家は郊外にあつたので11時頃迄何も知らなかつた。
東京から客が見えて初めて知つた。
『たうたうやつたか』
僕は思はずさう云つた。
それからラヂオを聞くことにした。
するとあの宣戦の大詔がラヂオを通して聞こえて来た。
僕は決心がきまつた。内から力があふれて来た。
『今なら喜んで死ねる』とふと思つた」
(随筆「12月8日」
より)

高村光太郎
「大詔(おほみことのり)のひとたび出でて天(あま)
つ日のごとし。
見よ、一億の民おもて輝きこころ躍る。
雲破れ路ひらけ、万里のきはみ眼前(まなさき)にあり」
(「
彼等を撃つ」より)

与謝野晶子
「水軍の大尉となりて我が四郎み軍(いくさ)
にゆくたけく戦へ」

北原白秋
「天皇(すめらぎ)の戦(たたかひ)宣(の)
らす時を隔(お)かず
とよみゆりおこる大やまとの国」