高森明勅

テロ未遂者?の「自由」論(下)

高森明勅

2015年 1月 16日
そもそも、フランス革命の理念に掲げられた
「自由」と「平等」は、それぞれを絶対視して
とことん突き詰めたら、決して両立しない。

自由を無制限に認めたら、
果てしない弱肉強食により、不平等極まる社会になるのは必至。

一方、平等を厳格に社会の隅々まで貫徹しようとすれば、
自由は著しく制約され、殆ど“窒息死”を免れない。

よって両者のバランスが大事で、その均衡点を探る場合、
重要なのが「友愛」の理念なのだろう。

しかし、そうした理念を裏切った革命の現実の悲惨さは、
改めて言及するまでもあるまい。

フランスは今も、革命の巨大な「負の遺産」を
背負い続けているように見える。

明治期の代表的な自由民権思想家、
中江兆民はフランス革命について、
次のような趣旨のことを述べていた。

私は革命派を自認している。
だがフランス革命当時、ルイ16世が断頭台に登るのを見たら、
私は必ず処刑人を突き倒し、王を抱いて逃げ去っただろう」と
幸徳秋水『兆民先生』)。