高森明勅

集団的自衛権を巡る「保守」系言論、2つの不思議

高森明勅

2014年6月26日 12:13

集団的自衛権について、「保守」系の論者は概ね憲法解釈の
変更による行使容認に、
賛成だったようだ。

そこで不思議に感じたことが2つある。

1つは、日本を恰も既に「一人前」
の独立国であるかのように
扱っていること。

独立国なら「正論」として通用しそうな議論を、そのまま唱えている。

余りにも「非現実的」ではないか。

もう1つは、そのくせ「宗主国」アメリカへの依存心ばかりが
強いこと。

アメリカにとって、もはや日本は「死活的」重要さは持たないし、
かの国の威信自体も昔日とは比べものにならない。

そんな現実を、決して直視しようとしない。

軍事的に窮地に立てば、アメリカが助けてくれるし、
アメリカに頼るしかない、という「
属国」根性丸出しの発想。

逆に言えば、自前の国防を決して目指そうとしない。

だから、個別的自衛権すら事実上「ない」状態で、遮二無二、
集団的自衛権の行使容認に走るという本末転倒が、普通に起こる。

以上の結果、「一人前」
の独立国への脱皮という
最も初歩的な課題から、
永遠に目を反らし続けることになる。

そんなことでは、靖国神社の英霊に決して顔向け出来ないだろう。