高森明勅

集団的自衛権を巡る「保守」系言論、2つの不思議

高森明勅

2014年 6月 26日

集団的自衛権について、「保守」系の論者は概ね憲法解釈の
変更による行使容認に、
賛成だったようだ。

そこで不思議に感じたことが2つある。

1つは、日本を恰も既に「一人前」
の独立国であるかのように
扱っていること。

独立国なら「正論」として通用しそうな議論を、そのまま唱えている。

余りにも「非現実的」ではないか。

もう1つは、そのくせ「宗主国」アメリカへの依存心ばかりが
強いこと。

アメリカにとって、もはや日本は「死活的」重要さは持たないし、
かの国の威信自体も昔日とは比べものにならない。

そんな現実を、決して直視しようとしない。

軍事的に窮地に立てば、アメリカが助けてくれるし、
アメリカに頼るしかない、という「
属国」根性丸出しの発想。

逆に言えば、自前の国防を決して目指そうとしない。

だから、個別的自衛権すら事実上「ない」状態で、遮二無二、
集団的自衛権の行使容認に走るという本末転倒が、普通に起こる。

以上の結果、「一人前」
の独立国への脱皮という
最も初歩的な課題から、
永遠に目を反らし続けることになる。

そんなことでは、靖国神社の英霊に決して顔向け出来ないだろう。