小林よしのり

憲法は結局は「慣習法」である

小林よしのり

ゴー宣道場・公論イベント
2014年 6月 9日


日曜の「ゴー宣道場」は「憲法」の本質を理解してもらう

ために、高森氏とわしが講義をしてるような風になって

しまったが、あれだけのことは伝えておかねばならなかった。

 

一つ、わしのミスを書いておきたい。

憲法は成文法だが結局は「慣習法」です、と言うべきを、

「不文法」と言ってしまった。あれは言い間違い。

 

憲法は国家権力(天皇、国務大臣、国会議員、裁判官

その他の公務員)が守らなければ形骸化してしまう。

天皇陛下は立憲主義の意味を知っておられるから、

絶対に、厳格に守っておられる。

だが国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、

憲法を守らない恐れがある。

 

国民が憲法に関心を持たずに、国家権力の監視を怠り、

彼らに憲法を守らせなければ、たちまち形骸化する。

だから憲法は成文化していても、結局は「慣習法」なのだ。

 

国民が国家権力を監視すべきということは、

マスコミにこそ、その重大な使命があるのだが、

残念ながらマスコミも、国家権力の広報紙に成り下がってる

例が見られる。

例えば読売新聞や産経新聞はその傾向が顕著だ。

 

国民のほとんどが「憲法は、国民による国家権力への命令書

ということを知らないのだ。

せめてその本質を徹底的にわかってもらわねばという危機感

から、昨日の「ゴー宣道場」は、啓蒙活動になってしまった。