高森明勅

帝国憲法への無知、誤解

高森明勅

2014年 6月 4日

憲法学者の小林節氏が、こんなことを言っている。

天皇主権の大日本帝国憲法では、近代憲法の核である
立憲主義が機能できない」(『白熱講義!
日本国憲法』)と。

このような受け止め方は、“常識的”な見方として、
世間に広く行き渡っているのではないか。

だが、帝国憲法は「天皇主権」を認めていない。

これは、美濃部達吉と上杉慎吉の論争と、その結末を振り返れば、
明らか。

天皇主権説の上杉が天皇機関説の美濃部に敗れたのは、
周知のこと。

上杉自身も自らの敗北を認めていた。

帝国憲法では、主権は国家にあり、天皇はその
最高機関ーというのが公権解釈で、
そのように運用された。

満州事変以降、軍部が台頭する中で、天皇機関説が政争の具にされ、
にわかに「政治」問題化した時も、
実際の運用に変化はなかった。

時の岡田啓介首相も「機関説の主義に基(もとづ)く政治の機構
まで悉(ごとごと)
く変ずる時は、憲法の改正にまで
進むの虞(おそ)れあり」
とした(『本庄繁日記』)。

即ち、“天皇主権”でやろうとすれば憲法そのものを改正するしかない、
と述べていたのだ(岡田首相は無理筋の“解釈改憲”は考えなかったらしい笑)。

憲法起草の中心となった伊藤博文も、
「憲法政治と云えば即ち君権制限の意義」
と明言。

現在、「明治憲法体制は君主の独裁政治、恣意的な専制政治を
行うことが困難な体制であった」(
鈴木正幸氏)というのが、
研究者の一般的な理解だ。

かつての「絶対主義的天皇制」論
(その淵源はコミンテルンの“
32年テーゼ”)は、
とっくに過去のものになった。

ずいぶん前から「明治憲法=立憲君主制」
論に
とって変わられている(中村政則氏ほか)。

憲法について正しい議論を組み立てるには、
その前提として帝国憲法への曇りのない認識が必要だ。